ここで息をする
きりよく泳ぎ終えて息を乱していた“私”の肩を叩くと、“コウ”は颯爽と水中を進んでプールサイドへと向かう。
同じように部活の練習メニューを泳ぎ、今も隣のレーンで同様に泳いでいたというのに、ちっとも疲れの色を感じさせない。どれだけ練習しても相変わらず存在している自分との差を感じ取ってしまうと、“コウ”の背中を追う表情が曇ってしまった。
短期間でそう簡単に追い付けるわけがないと分かっているけど、どうしてもため息が出てしまう。
『どうした? 気分でも悪くなったのか?』
『……違うよ』
『じゃあ、泳ぎのことで悩んでるんだな』
透視能力でもあるような確信を抱いた声で言われて、嫌でも眉間を寄せて口を固く閉じてしまう。
返事をせずとも“コウ”には“私”の心の内なんてお見通しで、それ以上は何も聞いてこなかった。先にプールの縁に上がって腰かけると、手を差し伸べながら『“ハル”も座れよ』と促してくる。
逡巡した末に、その手に縋るように冷えきった自分の手を重ねた。幼い頃には幾度か繋げたことのある手は、今や知らない人のもののように大きかった。しかし与えられる温もりは変わらず安心出来る愛しいもので、導かれるように引かれれば表情が緩む。
『“ハル”は難しく考えすぎなんだよ』
真っ直ぐプールを見据えながら“コウ”が静かに言った。
プール内には“私”や“コウ”のように自主練習をするべく残っている部員が何人か居て、顧問にアドバイスを受けながら活気づいている話し声や水が跳ねる音が辺りを包んでいる。その中で紡がれる彼の声を1秒たりとも聞き逃したくなくて、隣に座る凛々しい横顔を見つめて耳を澄ました。
その瞬間、ふと“コウ”がこちらに目を向けて。柔らかく破顔したそれにとらわれたように、息をするのも忘れて見つめていた。