ここで息をする
『上手くなりたいとか、タイム縮めたいとか、色々気にしながら泳いでるんだろうけど、そんなこと泳ぎながらいちいち考える必要なんてねーんだよ』
『……何で? “コウ”は思わないの? 今年は大会で優勝したいっていつも言ってるじゃん。考えなくていいならあれも嘘ってことになっちゃうよ。そんなの意味分かんない……』
『嘘じゃねーよ。絶対優勝してやるって思ってる。けど大事なのはそれだけじゃないってことだ』
『どういうこと?』
『誰だって何かしら思ったり目標にしたりしてることはあるだろうけど、それだけじゃ自分が望んでるように泳ぐことなんて無理なんだと思う。一番大事な思いを忘れてる限り、きっと』
そこまで言って“コウ”はまた真っ直ぐプールを見た。
水色の世界が日に照らされて白く輝いている光景を揺るぎない瞳に映すと、自分の中に閉じ込めるようにその目をそっと細める。まるで、世界で一番大切なものを見るような、慈愛に溢れた綺麗な横顔だった。
『――泳ぐことが好き。本当に大事なのはその気持ちだけだ』
日差しの熱を和らげるように吹く風が、二人を包み込むように通りすぎて水面を踊らせる。
『この世界で誰よりも泳ぐことが好き。それ以外の気持ちは一旦プールの外に置いて、一番大事な思いだけを強く抱いてプールに入るんだ。好きな世界で自由になるためには、この気持ちしかいらない。俺はいつも、これ一本で勝負してる』
『……そんなの、その気持ちだけで戦える実力と自信があるから言えることだよ。どっちもない“私”には無理だし……』
“コウ”なりに励ましてくれているのだろうけどいまいち胸に響かなくて、拗ねるように唇を尖らせて俯いた。上手くいかなくて八つ当たりする子供みたいな態度を取る“私”にも、“コウ”は辛抱強く諭すように言葉を選んで続ける。