ここで息をする
「水泳部の役なんて、私には出来ません。……泳げませんから」
カナヅチという意味ではなく、気持ち的に無理だ。
プールの授業には今のところ参加しているし、泳ぎとしては何ら問題はない。それでも時々、息苦しさを感じてしまう。
水泳をやめようと決めてプールを遠ざけるようになった頃の自分の記憶は、どうやらトラウマとなって私の中に深く根付いているようで。泳げば泳ぐほど、水の世界から逃げたくなった。
水泳をやめても、結局何も変わっていないんだ。息苦しさはいつだって私の中に潜んで、蝕む機会を窺っている。そんな私が水泳部、しかも水泳が好きな役なんて、演じられるとは到底思えない。
だからこそ、カナヅチという意味で捉えてもらえそうな泳げないという言葉を選んだ。
だって役の都合上、ヒロインは泳ぐシーンが出てくるはず。それなのにそのヒロイン役の人が泳げなかったら撮影は困難だし、さすがに泳げない人に無理強いもしないと思う。私はそう見込んだのだ。
先輩には悪いけど、ここは勘違いして諦めてもらおう。
「……いや、泳げるだろ。おまえがプールの授業で普通に泳いでるところ何回も見たぞ。ターンだって完璧にやってたし」
だけど私の願いに反してそんな言葉が返される。先輩の目は、呆れているのか若干冷ややかだった。
……ああ、そうか。そういうことだったのか。
先輩に呆気なく偽りがばれて途方に暮れる頭の片隅で、疑問の答えのピースがカチッと合わさる音がした。
いつも姿を見かけるたびに感じていた視線。あれはすべて、このためだったんだ。
本当にイメージに合うのか吟味して、なおかつ私が泳げる人かどうかもちゃんと確認していたのだろう。
どうりでプールのときによく見られていたはずだ。ヒロイン役に必要不可欠な泳ぐ姿を実際に見て確認出来る、貴重な時間なのだから。