ここで息をする


下調べに抜かりがない先輩に脱帽する一方で、どうしたものかと頭を抱える。ばれた嘘を誤魔化せたらよかったけど、あいにく何も手段が思い付かない。

それに悔しいことに、何を言っても見抜かれてしまうんじゃないかと思えた。見透かすような、ひたむきな目に。


「何で、泳げないなんて嘘つくんだ? そんなにやりたくねえのか?」


私の断りを受け入れなかったくせにそんなことを聞いてくる。ちゃんと断ってるんだからさっさと諦めてくれ、と念じながら先輩に向ける目をつり上げた。


「……そうですよ。私にはその役をやるなんて無理だから、嘘までついてるんです!」


自棄気味に語調を強める。でもそれぐらいでは、先輩は驚くことも戸惑うこともなかった。渦巻く感情に翻弄されて一人興奮する私をじっと見ながら、冷静に口を開く。


「何で、無理なんて言えるんだ? やってみなきゃ分からねーだろ」

「……そんなの、他人に対してだから言える都合のいい言葉です。無理かどうかなんて、自分のことならやる前から分かります」

「ふーん、そう。俺にはそれが、都合のいい逃げる言い訳に聞こえるけどな」


先輩は腕を組んで私を見据える。私の胸の内を覗いてすべてを知り、その上で煽っているような目だった。

先輩の言葉はぐさりと私の痛いところを突いているだけに、すぐさま反論する言葉がない。悔しさで膝の上の手を握り締めた。

……知ってるよ。自分が逃げてることぐらい。

あのときも今も、泳いで息苦しくなることを恐れて逃げているんだ。でも、それしか弱虫な自分を守れる方法がない。自ら好きな世界を手放すのが、精一杯なんだ。


「おまえさ、好きだって思うものとかあるか?」


黙りこんだ私を放って、先輩はいきなりそんなことを問うてきた。


< 54 / 151 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop