ここで息をする
「……それ、本気だな?」
頑なに断っていた私が突然了承したことに頭が追い付かなかったのか先輩は一瞬ぽかんとしたけど、すぐに顔を引き締めて確認を取る。
漠然とした期待と根付いている不安の両方を胸に抱えながらも意を決すると、私は高坂先輩に負けない真剣な表情でしっかりと頷いた。
途端、嬉々とした豪快な笑顔に迎えられる。
「そうか! ありがとな、波瑠!」
「わっ、ちょっと!?」
突然先輩は立ち上がったかと思うと机に片手をついて身を乗り出し、空いているもう片方の手でぐりぐりと頭を撫でてきた。
まるで、私の選んだ道が正しいと褒めてくれているみたいに。
……ていうか、名前呼び捨てなんだ。
思えば名前を知られているはずなのにずっとおまえ呼ばわりだったから、初めてまともに呼ばれた名前に驚いた。
先輩にとっては何気なく呼んだだけで、特に意味はないのかもしれない。
それでもその変化が、彼の中で私が認められたみたいに思えて……。胸の奥がくすぐったくなるのと同時に、ちょっと嬉しかった。
恥ずかしさを感じながらも頭に乗せられた先輩のぬくもりに身を任せていると、やがてそれが離れていく。先輩を見上げると、輝かしい笑顔に優しさを混ぜたような顔をしていた。
それにむず痒い気持ちを感じていると、今度は手を差し出される。握手を求めるように。
おずおずとそれに自分の手のひらを重ねると、厚くて大きな手が柔く私の手を握った。
「改めて、引き受けてくれてありがとう。これから撮影の間、よろしくな!」
「……こちらこそ、よろしくお願いします。精一杯頑張ります」
先輩に合わせるように腰を上げて、言葉とともにぺこりと頭を下げた。
――水泳をやめてから1年が経った夏。
私は自分でも想像していなかった形で、またあの水の世界へ飛び込むことになった。