ここで息をする


「じゃあ、シーン10―2、いくぞ」


高坂先輩の声が私の鼓動を一際速めた。だけど迫り来る緊張に完全に飲み込まれる前に、声かけが始まる。

カチンコが鳴らされる直前の無音の間に、私は静かに深呼吸をした。



***



『……あーあ、今日もタイムだめだったなぁ』


登下校でいつも通る坂道を、幼馴染みの“コウ”と二人で歩く。彼の斜め後ろをとぼとぼと歩きながら、ため息をこぼすように言った。

濡れた髪をタオルで拭いていた手を、身体の横にだらんと下ろす。“私”の嘆きに“コウ”は振り返ると、鼻高々に言ってみせた。


『おまえ、またタイム落ちたのかよ。俺なんてまた自己ベスト更新したぜ!』

『いいですねー、最近絶好調で。“私”なんて、日に日に調子悪くなってるのに……』

『まあ、俺は天才だし?』

『うっざ。自分で天才とか言ってる人は、絶対天才なんかじゃないでしょ! “コウ”なんて試合本番でお腹痛くなって、自己最低タイムで予選落ちしちゃえばいいんだ!』

『おい、不吉なこと言うんじゃねーよ!』


売り言葉に買い言葉。一度開いた口は、どんどん自分の思いと違うことを言ってしまう。

そのことに“私”は悩ましげに眉を下げるけど、すっかり口喧嘩になってしまった今、“コウ”はそのことに気付かない。不機嫌顔になった“コウ”はすたすたと大股で歩き、“私”を置いて先に行ってしまった。

もともと遅れを取っていた足がいつしか止まってしまい、遠ざかる好きな人の背中を見つめることしか出来ない“私”の気持ちを知らないまま……。


『……ばか。“コウ”には分かんないよ。“私”の気持ちなんて……』


一人残されてリュックの紐をぎゅっと握り締めると、唇を固く閉じて俯いた。



***



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