ハロー、マイセクレタリー!
Ⅳ、秘密か公然か
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高柳家の朝は、いつも出汁の良い香りが漂っている。
それは、今ここには居ない主が和食好きであったことによるものであり、そしてその子ども達ももれなく和食党に育ったためだ。
「奏さん、おはようございます」
目覚めて軽く身だしなみを整えてから廊下に出れば、顔なじみの家政婦さんに声を掛けられる。
僕は「おはようございます」と挨拶を返して、朝一番の仕事へと向かった。
廊下の先にいくつか並んだドアのうち、真ん中の扉をノックする。いつも通り返事がなかったため、声を掛けてから中へと入った。
「結依子、入るよ」
十二畳ほどの部屋には本人の強い希望で、必要最低限のものしか置かれていない。昨夜は遅くまで勉強していたのか、机の上には資料の山が積み上げられていた。
そして、窓際に置かれたベッドの上には、毛布にくるまって夢の中をさまようこの部屋の主が横たわっている。
僕は毎朝しているように、ベッドの傍らに跪いて、眠っている彼女に声を掛ける。
「結依子、起きて。朝だよ」
声を掛けても、身じろぎを繰り返し中々起きる気配のない結依子を揺すり起こす。
本当はいつまでも寝かせてやりたいし、その寝顔をずっと眺めていたいが、そうもいかない。
「う、うん……奏もう少し……」
ようやく僕の存在を認識し始めた彼女の耳元で、僕は甘い囁き……ではなく、手厳しいひと言を投げかけた。
「いい加減、起きろよ。初登庁から遅刻する気か?」
そのひと言に彼女は突然パチッと目を開いて、ガバッと飛び起きる。
「えっ!?うそ、今何時?」
慌てた顔で目覚まし時計を探す彼女を、抱きしめたい衝動に駆られながらも、厳しい口調で時刻を告げる。
「まだ六時ですが、新人議員は一番に登庁して各会派への挨拶回りをするのが、県会の慣例です」
「は、はいっ…」
「七時半には家を出ますから、急いで用意をしてください。一度、事務所に寄りますから。支援者からの激励を受けてから、その後は電車で県庁まで移動です」
テキパキと指示を出すと、結依子は途端にあわあわと用意を始める。
しかし、ドレッサーの鏡を覗いた瞬間に、絶望を顔に滲ませて、こちらを振り返った。
「……奏、いや、大木さん、一つお願いがあるのですが」
「何ですか?お嬢様」
「髪の毛、何とかしてください」
「かしこまりました」
結依子の柔らかく美しい髪は、寝ているうちにすっかり変な癖がついてしまっている。シャワーを浴びている時間はないと判断したのか、彼女は早々に僕に助けを求めてきた。
無防備に僕に背を向ける彼女の髪にキスを落としたくなるのを我慢して、すました顔で彼女の髪を梳かし始めた。