天神学園の問題児再来
「せ、先生」

1人の生徒が挙手した。

「質問いいですか」

「駄目だ。勝手に発言すると串刺しにするぞヒューマン」

「……」

生徒涙目。

恫喝の後、ヴラドは授業を再開する。

「ヴラド3世は1431年11月10日、トランシルヴァニア地方のシギショアラでヴラド2世(通称ドラクル=竜公、悪魔公とも) の次男として生まれた。この年、父ヴラド2世は神聖ローマ帝国からドラゴン騎士団の騎士に叙任された為、ドラクルという添え名はこの竜騎士団の竜(ドラコ)に由来する。1436年、父ドラクルがワラキア公となり、バルカン半島へと進出を続けるオスマン帝国に対し、ハンガリーとは緊張関係を孕みつつも共に断続的にと交戦した。ヴァルナの戦いでワラキアを含むバルカン半島の諸侯連合軍であるヴァルナ十字軍がオスマン帝国に敗北し、ワラキアはオスマン帝国に臣従を余儀なくされ、ヴラド3世は弟のラドゥと共にオスマン帝国の人質となった。ハンガリーの有力者フニャディ・ヤーノシュはダネシュティ家のヴラディスラフ(ヴラド3世の又従兄弟)を支持し、これをワラキア公とした。対し、ヴラド3世はワラキア支配を目論むオスマン帝国の支援で、ヴラディスラフを排除しワラキア公の座に就いた。しかし、2ヶ月でフニャディ・ヤーノシュに敗れ、モルダヴィアへ亡命する。1451年にヴラド3世の亡命先のモルダヴィア公アレクサンドル善公が病死すると、ヴラド3世はトランシルヴァニアに戻りフニャディ・ヤーノシュの許に身を寄せる。1456年にハンガリーを無視して独立を果たそうとするヴラディスラフを疎んじたフニャディ・ヤーノシュの支援の下で3世は再びワラキア公に返り咲く」

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