世界はまだ君を知らない
あの雪の日、仁科さんに抱きしめられ泣くうちに気づけば眠ってしまっていた。
朝起きた時には彼はもう既に起きていて、温かいコーヒーを淹れ、朝食まで用意してくれた。
その穏やかな幸福感に、心を縛りつけていた紐はそっとほどかれて。
自分の中のなにかが、変わった気がした。
それから仁科さんとともにやってきたスタッフルーム。
テーブルの上には、次回の大きな展示会の案内が記載されたダイレクトメールが束になって置かれている。
「パソコンにある顧客データを確認しながら、ひとりひとりにあててメッセージを添えてくれ」
「わかりました」
「店で一番字が上手いのはお前だからな。頼んだぞ」
そう言いながら、彼は細字のサインペンを手渡す。
それを受け取った瞬間、微かに触れた指先に胸はドキリと音を立てた。
少し冷たいその指先が、先日の彼の抱きしめた腕を思い出させて……かああ、と頬が赤くなってしまう。