世界はまだ君を知らない
「……千川、大丈夫か?」
「は……はい。すみません、ありがとうございます」
掴まれたことで少しよれてしまった襟元とネクタイを正す彼を見ると、ほっと安心感がこみ上げた。
緊張が緩んだことで今になって少し震えだす手をぐっとにぎる。
そんな些細な私の反応を見逃さないかのように、仁科さんは両手でそっと私の両頬を包んだ。
「極力探らないようにと思っていたんだが、聞いてもいいか?」
「え?あ……はい」
「昨日の涙の原因は、あれか?」
眼鏡越しにまっすぐ見るその目から目をそらず、頷く。
「……昨日の帰りに行きあって、笑われて。けど私、なにも言えなかったんです。そんな自分が情けなくて、悔しくて」
昨日きちんと言い返せていたら、健吾はここまで来なかったかもしれない。
情けなくて、はずかしい。
だけど、見損なわないで、呆れないで。
嫌いに、ならないで。
そのひと言を声に出す代わりに、握っていた拳をほどき、彼のスーツの裾をにぎった。
そんな私を、その目は優しく見つめる。
「情けなくなんてない。千川は、ちゃんと変わってるし強くなってるだろ」
「え……?」
「これまで何事もひとりで抱えていたお前が、昨日俺を頼って電話をくれたことが、証のひとつだ」
仁科さんはそう言うと、私の頬を親指でやさしくなでる。