世界はまだ君を知らない



「仁科さん、どうぞ」

「あぁ、悪いな」



なんてことのない、お酌のやりとり。けれど、昼間の会話を思い出すとなんだか少しぎこちなくなってしまう。



昼間は、彼の言葉に苛立って、かと思えば喜んで……あぁ、どんな顔をしていいかが分からない。

正直なだけで、悪い人ではないのだろう。けどそのストレートさが、少し怖くも感じられる。

かと思えば『長いほうが似合う』なんて言ったりもするし……。



悩みながらもビールを注ぎ、彼の持つグラスには綺麗な泡が出来上がる。

すると仁科さんは、そのグラスから私のグラスへ視線を移した。



「千川は飲まないのか?」

「あ、はい。あんまり強くなくて」



答えながら苦笑いを見せると、仁科さんの右隣に座る上坂さんは思い出したように笑う。



「あー。千川、いつだったか少し飲んだら熟睡しちゃったもんな。あの時連れて帰るのがまた大変で……」

「わー!言わなくていいですから!忘れてください!」



そう、それは以前一度だけのお酒の失敗談。

入社当初の歓迎会で初めてお酒を飲んだ私は、少しの量で即熟睡してしまい、上坂さんや当時の先輩たちに物凄く迷惑をかけてしまった。


翌日先輩のひとりに『小柄な子だったらお姫様だっこで連れ帰ったんだけど、千川は無理だったな』と笑われたこともあり、以来私はお酒は絶対飲まないようにしている。


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