大人にはなれない
『将来美容師になるのもいいかなって思うんだよねー』
斗和がそんなことを言い出したのは、産んだばかりのひまりを、優姫香が勝手にウチに置き去りにしていった頃のことだ。
まだその頃は父さんが生きていたけれど、決して若くない父さんは持病を抱えていて、就労が困難で。父さんと母さん、それに由愛と俺の4人は細々と年金と貯金、母さんのパート代なんかををやりくりして暮らしていた。
そんな質素な生活をするその家に、父さんと折り合いが悪くて家出したっきりになっていた長女の優姫香が突然やてきて、まだ新生児だったひまりを置いてすぐまたどこかにいなくなった。
ゆるやかに家の経済状況が下降していく中、赤ん坊を育てるのは簡単なことじゃなく、ますます生活を切り詰めていかなければならなくなった。
その節約手段のひとつとして、父さんが俺の頭を家で丸刈りにするようになった。「清潔で子供にいちばんいい髪形だ」と父さんは言っていたけど、床屋にいく金を節約するためだと俺は気付いていた。
坊主頭は似合わないし、古臭くて切れ味の悪くなったバリカンで髪を刈られるのが本当に嫌で、よく父さんとケンカになった。
するとあるとき斗和が、『おじさん。ミキの髪、今度から俺が切るよ。俺の練習台にさせてよ』と言い出した。
『ほら俺器用だから、美容師とか向いてんじゃん?とーちゃんたちに家継ぐのも期待されちゃってるし。だから今のうちからミキの髪で練習しておこっかなー、みたいな?俺の代になったらうち理容室から美容室に改装して、毎日毎日女の子の髪触ってんのもいいかなーって思ってんの。やっぱ美容師ってモテる職業だからねー』
斗和はそんなことを言って『ヘアーバーラー南』が定休日の日、おじさんとおばさんが出掛けた隙にこっそり俺の髪を切り揃えた。
自分で器用というだけあって、素人の俺にはプロみたいな手さばきに見えた。そう斗和に伝えると、斗和は顔をくしゃっとさせて『伊達に生まれたときから親の仕事みてねーよ』と言っていた。
以来『練習台』という名目で、斗和は定期的に俺の髪に鋏を入れる。
ときどきふざけた斗和に前髪を短く切られ過ぎたり、校則で禁止されているのに眉毛をいじられたりするけど、正直斗和のそういう悪ノリに救われていた。
一方だけが好意や親切を与え、もう一方がただそれを受け取る。そういう関係は、親子の間では成立しても、ダチの間では成立しない。
まだ15でも、俺も斗和も、そして息吹もそのことに気が付いている。
だから斗和も息吹も、俺の家の事情を知りながら、俺に何か物を恵んだり、過剰に情を施してきたりはしない。実際は、俺がふたりに何か出来たことなんてほとんどないけれど。
でも表面的にだけでも、対等であるかのように接してくれていた。