大人にはなれない
「斗和くん、こんな時間までありがとね。……美樹の髪、切ってくれたの?」
母さんが聞くと、斗和はオーバーなテンションでまくしたてた。
「あ、や。これ俺の趣味なんで!俺が楽しんでるんです。人の髪の毛いじんの、おもしろいんで!ほら、俺両親からそういうDNAもらってるから!!よかったら今度おばさんの髪も切りますよー。おばさんお手製の稲荷寿司で手を打ちますけど。酢飯のほのかなすっぱさ加減が超絶妙で。俺おばさんの作るアレ、ちょー好きなんすよねー」
「ひまりもちょーすきなんすよねー」
斗和に抱っこされたままのひまりが斗和の口真似をすると、みんなが笑いの顔になる。
その顔を見て、『これが俺の家族なんだ』という思いが胸に刻まれる。
こんな生活いつまで続くんだと恨みがましく思ったり、ふとした瞬間急にたまらなくなって、すべて投げ出したくなるくらい煩わしく思うことだってある。
けれどこれが俺の、俺だけの家族なんだ。守らなきゃいけない存在なんだ。
諦めでもなく。ただそう思う。
「さー。じゃ俺、この辺で」
そういって斗和が自転車の向きを反対方向に変えようとしていたとき。少し離れた場所から、高い声が上がった。
「お母さん?美樹くん、見つかったの……!?」
横断歩道の向こう側から、高校の制服姿のまま駆け寄ってきたのは由愛だった。暗い中で俺の姿を見つけるやいなや、幼く見えるその顔を険しくさせた。
「もう美樹くんっ、こんな遅くまでどこ行ってたのよ!心配するでしょッ!」
怒りの形相のまま近付いてくるけれど、俺の背後の斗和に気付くと由愛はその顔を引き攣らせた。
「やっ。由愛ちゃんこんばんわー。ひっさしぶりー!」
俺の方が見ていてヒヤヒヤしたけれど、当の斗和は相変わらず能天気そうな調子で由愛に話し続ける。
「あれ?由愛ちゃん最近髪切ったばっか?他の店に浮気しないで、由愛ちゃんもたまには俺んとこにも切りに来てよー。今日もミキの頭切ったけど、なかなかイイ感じっしょ?俺すごくね?」
斗和に何を言われても言葉を返せずに、とうとう由愛が斗和を無視してるような空気になってしまう。へらへらしていた斗和は、一瞬だけ真顔に戻ったように目を細めた後。
「じゃ!俺明日も朝練早いんで!おばさん、しつれーしまーす!バイバイ、ひまりちゃん。ミキちゃんもまた明日なー」
そういって斗和が自転車を漕ぎ出す。
「由愛ちゃんもまったねー」
斗和は見えなくなるまで由愛に向かって大きく手を振って、夜の道を帰っていった。