大人にはなれない

息吹の前だというのについ自虐的な言い方をしてしまったのは、たぶん昨日のことだけじゃなくて今日開かれた学年集会で聞いた話の所為でもあるんだろう。


『来週提出してもらう進路希望調査票ですが、これは君たちがおそらく人生で初めて、自分で自分の人生を決める大切なことです』

生徒指導に熱心な、学年主任の先生の言葉はいちいち胸に刺さってきた。

『これから何度か調査票を出してもらう中で、大きく希望が変わることもあると思いますが、まだ一学期だからと思わず、皆さんよく考えて提出してください』


その言葉を聞いて思ったんだ。ああ、そうか。まだ15年しか生きてなくて、これから先の人生の方がはるかに長いわけだけど、でも俺の人生、もう決まっちゃうんだなって。

覚悟してたつもりでも、なんともいえない気持ちにさせられた。だから教師って存在に反発したわけじゃないけど、なんとなく今は先生と面と向かって話したくなかったんだ。


「今日はもう帰るの?美樹どこ行くの?」
「さあな。そのうち教えてやるよ」


今日行こうと思っている場所には、もうしばらく行っていなかった。

父さんが生きているときには、たまに日曜日に一緒にバスに乗って、そこから歩いて行った。でも今日は運賃が勿体ないから、一度団地の駐輪所に立ち寄って、それから錆びだらけになったうちのオンボロ自転車に乗って向かった。


油を差していないから漕ぐたびにギコギコ嫌な音はするけれど、梅雨前のカラッとした5月の風を感じながら走っていくのは心地いい。

団地前の桜並木を過ぎて、無心でペダルを踏み込んで坂道を上っていくうちに、ふと昨夜のことが頭に思い浮かんできた。



『ごめんね、美樹くん。あたしだけ学校に行かせてもらって』

どうにかして気持ちを宥めて公園から家に帰って、そのままたいして言葉も交わさないまま就寝すると。布団に入ってしばらくしてから、隣でもう眠っていると思っていた由愛が小声で俺にそう謝ってきた。

『……美樹くんの方が頭いいし、勉強頑張ってるのに……どうしてあたしなんかが進学するって決めちゃったんだろう……あたしが働けばよかったのに……』


由愛があまりにも悔いるように言うから『違うだろ』と否定する俺の言葉が、電気の消えた部屋の中で大きく響いた。


『そうじゃないだろ。俺も行けって言ったんだから、俺の都合でもあるんだよ。別におまえが悪いとかこっちも思ってねぇし』
『……………ねえ美樹くん。美樹くんはあたしが学校行かなかったら、もしかしたらお姉ちゃんみたいに、水商売することになるかもしれないって思った?』



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