大人にはなれない
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一局という話だったけど、結局三局指した。
戦績は二対一。だいぶ手加減してくれたみたいだ。秋元さんは盤を見ながらここが悪かったとか良かったとか戦局の分析をしながら聞いてくる。
「で、美樹ちゃん。どうしたよ、今日はそんな改まった顔して」
「……あの………」
秋元さんに言う言葉は考えてあって、自転車を漕ぎながら頭の中で何度も繰り返したというのに、いざとなると急に緊張して舌が縮こまった。
「……去年もちょっと相談させてもらったんですけど………」
自分で決めたことなのに、情けなく言葉が揺れそうになるから一度言葉を切って。盤上に向いたままの秋元さんにちゃんと伝えられるようにと息を吸った。
「俺、やっぱり学校を卒業したら秋元さんのとこにお世話になりたいと思っています。今日はそのお願いと挨拶にきました」
飛車の駒を動かしていた秋元さんが、ようやく顔を上げて真正面から俺を見てくる。中盤の手筋を読むときのような、真剣な顔だ。こちらもきゅっと表情を引き締めて頭を下げる。意を決して「お願いします」と言おうとした、そのとき。
静まり帰った部屋に突然ぐぅぅぅっと間抜けな音が響く。とっさに腹に手を当てて押さえてみたけれど、俺の腹の虫はそんなもので静まってくれるようなシロモノではなく、またもやぐぅっと鳴る。まるで空腹への恨み節か悲鳴みたいだ。
「…………すみません」
顔から火が出そうになるくらい恥ずかしいのを堪えてちいさな声で謝罪すると、秋元さんがふっと笑った。
「年寄りの食う茶菓子くらいじゃ、美樹ちゃんみたいな若いのの腹の足しにもなんねぇよな。……おいばあさん、美樹ちゃんになんか用意してやってよ」
すぐに隣室から「はいはい」の返事がする。
「昨日煮た魚がまだ残ってただろ。あと芋の煮っ転がしも。白飯大盛りで持って来てやってくれ」
「や、待ってください。俺はいいですから」
断るそばからまた腹が鳴って、俺は節操のない腹の虫を呪いたくなった。
「子供が遠慮すんなや。うちのばあさんの飯は地味だけどなかなかいけんだぞ。それにこれは施しなんかじゃねぇよ。俺ぁね、ウチの仲間になるかどうかはまず一緒に飯を食って決めるんだよ」
そういって秋元さんは目尻に皺を作って笑いかけてくる。その表情はどこかお父さんを思い起こさせた。