潮風の香りに、君を思い出せ。

『本当なんだな、わかんないって』

やっと信じてもらえた。でも、あんな声で言われたかったわけじゃない。あんな風に傷つけたかったわけじゃない。

怒ってすらいなかった。失望したんだ。そんな声だった。

携帯を胸に握りしめる。どうして言っちゃったんだろう、あんなこと。



声をかけてもらえばわかるなんて、そんなことを自分で言ったって。

違うんだ。声をかけられてもわからないんだ。覚えたつもりでも覚えてないんだ、忘れちゃうんだ。




大地さんが歩いて隣りに来て、コンクリート塀に寄りかかる。

「ケンカ?」

ぼそっと聞かれて、下を向いたまま首を振る。

「私なんてきっと彼のこともすぐ忘れちゃうし。リクルートスーツ姿で会ったらわかんないかもしれないから、そっちから声かけてって。言えたけど、言わなきゃよかった」

顔を上げると、大地さんが顔をしかめているのが見えた。

「忘れちゃうなんて、わかんないなんて、最低」

大地さんに向かって、吐き捨てるように言った。

「何度かすれ違ったって、声も掛けたって。それでも気づきもしなかったって。わかんないってやっと信じてくれたけど」

そこまで一気に言って、ひゅっと息を吸った。

「でも、そんなの最低。がっかりしてた、傷ついてた。こんなにすぐに顔も忘れちゃうなんて」



「七海ちゃん?」

伺うように呼びかけられるけど、何も言われたくない。なぐさめなんかいらない。下を向いて早口で言い続ける。

「忘れたらダメなのに。バカなのに。そんなバカなの絶対ダメなのに」

「落ち着けって。どうした?」

押さえられた肩から大地さんの手を振り払うように向き直って、正面から向き合った。

「どうもしてない。大地さんにはわかんない!」

苦い沈黙が落ちて、下を向く。

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