潮風の香りに、君を思い出せ。
また思い出せるなら
やってきた始発電車に乗る。休日の午後、それなりに人がいたけど座れた。顔を上げてぼんやりと外を見ながら、風景がだんだんと混みあって行き電車が街中に入っていくのを感じていた。
昨日の朝降りるはずだった都内の駅に着いた時、ドアが開くのに合わせて息を吸いこんでみたけど、潮の香りはしなかった。
そうだよね。あれは本当に不思議なタイミングだったんだと思う。
そういえば、大地さんが思い出したという海辺はやっぱり駅前のあの海だったのかな。自分の話ばっかりで全然聞かなかった。
駅で確認してホッとしたのか、少し眠ってしまったらしい。ふと気づいて目を上げると、降りる駅はまだ先だった。
すっきりした気がする。一度深呼吸して、座席に座ったまま手足を前に出して身体を伸ばした。
少しはっきりしてきた頭で、さっきまでのことを思い返す。
あの日おばあちゃんに会って、すっかり忘れられて冷たく追い返された。忘れちゃダメ、バカだとダメ、そんな人ならいないほうがいい。
お母さん達もそう思ってると、なぜだかそう結論づけた。そう思ったことだって忘れてたのに、心のどこかに残っていた。
自分をバカだと言いながら、忘れないように覚えていられるように必死だった。それでも何かがうまくいかないと、やっぱり私なんていなくていいんだと拗ねちゃってたんだ。
そういうことなんだ、きっと。そうやって逃げてるんだ。
『いないほうがいいわけないだろ、バカだなぁ』
大地さんの声を耳の中で繰り返す。そうかな、いないほうがいいわけないかな。いたほうがいい? いてもいい? 忘れてしまって人を傷つけても? 嫌われても?
顔ぐらいわかんなくてもいいって言ってた。そうだ、ぱっと見てもわからなくても、話せばちゃんと思い出せる。
おばあちゃんが忘れちゃったのと、私が顔を忘れちゃうのは違う。
慎也くんのことも忘れたわけじゃない。電話だったらちゃんと話せた。すれ違った時にだって普段通りに「七海」って声を掛けてもらえてたら、声でわかったかもしれない。
ふーっと息を吐いて、天井を見上げた。
でもそういうことを考えるより先に、逃げちゃうんだ私。
さっきの電話だって、これ以上慎也くんに何か言われる前に勝手に切った。
大地さんからも逃げたんだ。怖くて。結局はがっかりされる気がして。