潮風の香りに、君を思い出せ。
ハッと気づいたら、まだ電車の中だった。
開いたドアがぷしゅーと間抜けな音を立てて閉まっていく。
中腰で立ち上がっていた私は、そのままもう一度座席に深く身体を預けて、落ち着くために深呼吸をする。
大丈夫、おかしなことになってない。耳も聞こえる、目も見える。さっきまでの電車の中にいる。ここはもちろん、海じゃない。
何だったの、今の? 幻覚? 白昼夢?
怖い光景ではなく懐かしいわけでもなくて、なんだか切ない感じがした。帰らなきゃ、でも帰ったらダメだ。そんな矛盾した気持ちだった。
電車が次の駅に着いた。ドアがまた開いて閉じる。
今の駅で空いた左隣に誰かが座って、急に現実に意識が戻る。
嫌だなと隣の気配がひどく気になる。また降りる人ばかりでかなり空いてきたんだから、普通はもう少し離れて座るでしょう。
横目で左を確認すると、紺色のスーツを着ている。細身で着崩れてない。顔はよくわからないけれど袖から見える手の感じから考えてきっと若い、20代のサラリーマン。
うん、別に普通の人っぽいから大丈夫か。
「さっき降りようとしてたよね。大丈夫?」
安心しかけたところに、想像通りの若い声が話しかけてきた。
やだ、なにこれ。ナンパ? それともただの親切な人?
「大丈夫です。ちょっと立ちくらみで」
見ないようにしてそっけなく言う。うっかり目を合わせないように、でも無視して逆上されたら困るから返事はしておく。
何かあったらさっと逃げられるように、膝の上に置いたバッグを抱え直した。