潮風の香りに、君を思い出せ。

「海風が入ってきたよね。あれでびっくりした?」

私の態度に構わず親しげに話しかけられる。
なに? 海風?

「俺も、なんだこの匂いって思って降りられなかったんだよ」

あ。さっきの風景はもしかして風の匂いに引きずられて記憶が戻ったということなのかと思い当たる。

プルースト効果。匂いで記憶が戻ることをそう呼ぶと、確か心理学の授業で聞いた。

「潮風の匂い、しましたか」

つい素で質問しながら思い出す。そうだ、潮風が吹いて嵐が来ると思っていた。

「したね。サーファーとかがいたのかなぁ。それか新手のマーケティングか。匂いで誘うとかあるよね、最近」

なんでもないことのように、のんびりと答えが来た。

そうか、そういうものだったのかなとやっと腑に落ちるけれど、朝っぱらの通勤ラッシュの駅でそんなことしてどうするんだろう。何に誘うの。

「この電車、このまま乗っていくと海まで着くって知ってる?」

「そうですね」

いつも乗っているから知ってるに決まっているけど合わせておく。意外と変な人でもないのかもしれない。



「今日はこのまま乗って行こうかなぁ。一緒に行かない?」

前言撤回。やっぱりナンパなのか。

この人、スーツ姿でどう見てもこれから仕事に行く途中だ。きっとダメな営業マンで、毎日カフェで時間つぶしているタイプの人に違いない。私がふらふらとしているのを見て、扱いやすそうとか思われたのかも。

ないない。私、よく知らない人にはついていかないって決めている。
< 3 / 155 >

この作品をシェア

pagetop