潮風の香りに、君を思い出せ。
「行ってみるか、車なら近いし」

私に目を向けて、大地さんが楽しげに微笑む。

「あ、今日お父さん出張で車ないの、明日まで」

「あーそうなんだ。バスもあるけどなぁ」

大地さんはちょっと考えるそぶりをして、私に聞いた。

「船があったって、マリーナ? 俺は漁港かもと思ったんだけど」

「えっと、どう違うんですか?」

「マリーナはヨットで、漁港は漁船なんだけど。どっちも小さい船だけど」

「うーん、ボートみたいでマストがついてるようなのだと思うんですけど、種類はちょっとわからないです」

「そうだよなぁ、そんなに覚えてないって言ってたもんな」

あの一瞬の記憶だけ考えれば、実は写真みたいに鮮明だ。でも、記憶力の悪い私がそう言うのも嘘っぽいし、もしかして記憶じゃなくてイメージしただけかも。

本人でさえ信じられないお粗末な記憶力だから、仕方ない。

それに、ヨットと漁船の違いはよくわからないな、どちらにしても。



「確か少し離れてたよなぁ、あそこの漁港とマリーナ。歩くと遠いかも」

大地さんは誰に言うともなく言いながら、まだ考えてくれているようだ。ふと思いついたように目を上げて、香世子さんに聞く。

「あかりに車借りるか。今日も店出てるかな」

「金曜はいつも働いてるでしょ、でも連絡していったら?」

「言うと断られそうだから、七海ちゃん連れてそのまま行くよ。そしたら断らないよ、あいつは」

面と向かって頼まれたら断れないタイプの人なんだろうか。大地さんの頼みは断るけど、余所の人には親切ということかもしれない。

どちらにしても仲がいい人らしい。



「行ってみたいよね?」

ダイニングテーブルに手をついて軽く問い詰めるような姿勢で、でも声は明るく聞かれる。決まったことのように進めておいて、また最後には確認されるのか。断るとかありなのかな。


「行っても特に何もないと思うんですけど」

わざわざ行くのも悪いかなと思って一応言ってみる。それに、意外と違ったらと思うとちょっとひるむ。はっきり見えたはずだけど、時間が経ってだんだん弱気になってきた。

「なんかあるよ、きっと。行くだけ行こう」

なにかあるのも決まっているように言う。そう言われるとそんな気がしてきて不思議なんだけど。

「行きます」

返事をしない限り終わらないんだと気付いて、宣言した。言ってから、連れて行ってもらうのに他に言いようがあるだろうと悔やんだけれど、大地さんはもう「俺かばんとか財布とかあったかな」と二階の自室に向かってしまった。

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