潮風の香りに、君を思い出せ。
「七海ちゃんは、サークルではナナって呼ばれてるんでしょ? 前に大地が言ってた」
あかりさんが別の話を始めてくれてほっとした。
「はい。ナナミでもよかったんですけど、クラスでナナミって呼ばれてたから、サークルではナナって」
「え?わざと違う名前にしたの?」
「はい。大学内で声かけられたとき、誰だかわかりやすいかなと思って」
あ、せっかく違う話にしてくれたのに、また覚えられない話に戻っちゃう。バカすぎ。
「なるほど。そういう工夫もあるんだ」
でも大地さんが普通に話に入ってくれる。
「大地みたいに七海ちゃんって呼ぶのは?」
あかりさんもまだ聞いてくる。こんな話面白いのか疑問だけれど、あまりにも覚えられないと逆に興味深いのかもしれない。
「高校の先輩とか、近所の人とかかな。今日電車で大地さんに七海ちゃんて呼ばれたときも、ますます混乱しちゃって」
今朝は一瞬ストーカーかとまで思った。思い出してみるときっとそうだ、名前の呼び方なんだ。
「七海ちゃんって呼ぶ人に連れて行かれそうになったことがあって。ちょっと怖いと思ったのかもしれないです」
「え、誘拐?」
「そこまでではないんですけど。母が宗教にはまりかけたことがあって。抜けようとしてた時に、知らないおばさんに私が声かけられたんです。
七海ちゃんって呼ばれて向こうはいかにも知ってるっぽかったので、知り合いかと思ってついて行きそうになって。
姉がちょうど帰ってきたんで大丈夫だったんですけどね」
「小さい時?」
「いえ。中学生、です」
私も言いづらかったけれど、聞いていた二人のほうでも、反応をためらうようにちょっと間が空く。
さすがに中学生で知らない人についていくのはまずいのは知ってる、私も。
「知らない人についていっちゃいけないとか言われる年でもないのに、バカじゃないのってものすごい怒られて。
今も、一人でいる時に声かけられると、知ってる振りなのかほんとに知ってるのかよくわからないので、なるべく一人になるなってお姉ちゃんに言われてます。大学生なのに」
思わず下を向いて早口で説明した。でもバカの証明にしかならない。
これは結構痛い話だ。家族以外は知らない。なんでしゃべっちゃってるんだろうと後悔する。こんなバカ見たことないって、さすがに思われてるかもしれない。
話しながらさりげなく振り向いてアロマの棚をなんとなくいじって、顔を見られないようにした。
呆れられたかな、二人に。言わなきゃよかった、バカ。