潮風の香りに、君を思い出せ。
いや、いやいや。知り合いと信じ込ませて油断させる手口かも。下調べしてるなら、私の記憶力が異常に悪いことも知っていておかしくはない。

自分のペースを取り戻すために、深呼吸をする。あれ、この匂い。知ってるかも。もう一度、落ち着いて顔を見直す。あ、目尻のシワ!

「見てもわかんないか。ほんとに俺って印象薄いんだなぁ。君と俺が一つになったら、地球が生まれるねって話したよね? 大地だよ、サークルのOB」

呆れたように、でも楽しげに大地さんは笑った。

そうだ、やっぱり大地さん。ああ。またやっちゃったんだ、よりによってこの人に。

「思い出した?」

失敗したと私の顔に出ているんだろう。隣からにこやかに覗き込まれる。



「すみません、ちょっと慌てちゃって。まさか電車で会うと思ってなくて」

さすがに気まずくてちょっと下を向いて言い訳する。また忘れたのがばれた。忘れたっていうか覚えてないんだ、この人の顔。

なんでわざと変な風に声かけてくるんだろう。1年以上会ってないでしょ、無理なんだって私には。
バカなんだから、諦めてよ。

「久しぶり、七海ちゃん。またきれいになったなぁ、彼氏ができたからか」

大地さんが目を細めて笑う。笑うと目尻に深いシワができる。これがこの人の、思い出すのに使いにくい唯一の特徴。

「大地さんは相変わらずセクハラですね」

「毒舌だよなぁ」

気まずいのを隠したくてあえて冷たく言ってみると、また楽しそうに笑った。

そうだ、初めて会った時にもこんな会話をした。

先輩と言っても、数回しか会ったことがない。私が新入生だった時に社会人1年目だったこの人は、学生気分が抜けないのか、時々週末にサークルに参加していた。



私は人を覚えるのがとにかく苦手。

転校が多くてトレーニングの機会はそこそこあったと思うから、なんとか目立たないくらいには早く覚えるコツは身についた。

背格好、髪型、顔の形、その他目立つ特徴。ぱっと見てわからなくても、声やしゃべり方でわかったりもする。

でも、たまにしか会わない人、見る度雰囲気が変わる人、そういう人はほとんど無理。高校までと比べて、大学にはそういうタイプの人が圧倒的に多い。

大地さんは特に苦手で困るタイプだ。耳が立ってるとか、眉毛が濃いとか、何か特徴があれば覚えやすいのに。
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