潮風の香りに、君を思い出せ。
せっかく来たので、小さな漁港をぐるっと一回り、二人でゆっくり散歩した。うん、ちょっと懐かしい感じがする。古ぼけた岸。干からびた海藻。強い潮の匂い。漁はとっくに終わってしまったのか、漁師さんの姿は見えない。
林に続く道は近づいてみると思ったより幅広いし、薄暗い感じもそれほどしなかった。なんであんな風に、追いかけなくちゃと思ったんだろう。
でも違う感じがするのはそれぐらいで、後は電車の中で思い出した風景そのままという感じがした。
岸で砕ける波の音。高く飛ぶカモメの声。ああ、ここにいるのはやっぱりカモメでトンビじゃない。
そういえば、もともと別に場所や景色を覚えていられないとかはないんだった。覚えられないのは人の顔で、記憶力全般がそんなに悪いわけでもない。
そういうことかな、大地さんが言うのは。バカとか記憶力が悪いとか適当にごまかすなってことなのかな。
「大地さん」
声をかけると、空を見上げていた大地さんが振り向く。
「ありがとうございました」
「ここまで来たこと? まあ半分はあかりだよね」
そんなわけない。
電車で声をかけて連れてきてくれたこと。
サークルに行けなくなったことを覚えてて、気にしてくれたこと。
さっきも、私が戻れるように一生懸命考えてくれたこと。
ふと気づいた。
仕事が大変でサボりたいのかなって思ってたのに、そんな話一度もしてない。大地さんが思い出した海の話だってほとんどしてない。私のことばっかりだ。
水浸しにされて笑われて、助けようとしたのにキレられて。やっかいな後輩なのに呆れもせず『半分はあかり』なんて本気で言ってる。人が良すぎるでしょう。ときどき的外れだけど。
ひたすら親切だけど的外れで、かっこいいはずなのにどこか間が抜けていて、やたらに優しいけれど婚約者がいる。
困った人だ。
残念ながらこの人を好きになっちゃったことを自覚する。顔もよく覚えられない、もうすぐ結婚するこの男の人を。