潮風の香りに、君を思い出せ。
「いつごろですか?」

でも聞くのをやめない。

やめて。聞きたくない。

「うーん、五年ぐらい前かなぁ。クロが死んじゃってねぇ。それまではどこフラフラしてもクロが連れて帰ってくれてたんだけど」

あの時は犬がいた。それがクロか。五年なんてものじゃない、私がここにいたのは十年以上前だ。とりあえず、強張っていた手の力が抜けた。

あの時じゃないってほっとする。

「おばあちゃんの子ども探すの手伝ってあげたの?結構前かしらね、お姉さんが子どもの時?」

「十年ぐらい前です。よく覚えてないんですけど」

「嬉しかったんじゃないかな、手伝ってくれて。結構バカにされたりしてたからね、フラフラしてて。
この林抜けてってね、しばらく行ったところの右の大きいうちよ、渡辺さん。知り合いだったらお線香上げて行ったら?娘さんがいるから喜ぶと思うわよ」

「はい、ありがとうございます」

おばさんは大きな犬を促して、林の方へ歩き去って行った。

そう、もう少し小さい犬で、確かに黒っぽかった。おばあちゃんと一緒にいつも歩いていた。




あの日。犬を連れたおばあちゃんがいて、最後は何か言いながらあっちの林に行っちゃったんだ。嵐が来そうだし、あの向こうなんて何があるかわからないから、止めに行かなくちゃって思った。強く風が吹いていた。

でもお姉ちゃんが港まで迎えに来てくれていて「ななみ、帰るよ」と言っていた。お姉ちゃんの言うことは聞かなくちゃいけない。それに一人で行ったら危ないのも知ってる。

帰ってからも気になってお母さんにも言ったけど、お姉ちゃんがそんな人いたかなって。ななみのかんちがいじゃないのって。それで、私のことは信じてもらえなかった。一生懸命言ったのに。仲よくなったおばあちゃんだよって言ったのに。

だって、七海は人なんて覚えられないでしょ、それにバカだし。

そういうことだ。



「行ってみる?」

「行きたく、ないです」

「そう? 俺、一緒に行くよ?」

「行きたくないです」


説明できないけど、行きたくなかった。見たくない感じがする。どうせおばあちゃんはもう亡くなってる。どうせ、私は顔を覚えてるわけじゃない。
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