潮風の香りに、君を思い出せ。
その時、がちゃっと玄関ドアが開いた音がして、大地さんは慌てて立ち上がった。ゆっくり顔を上げると、もう玄関に急いで出て行くところだった。
「俺、自転車とってくるから」
「ああそう、暗いから気をつけてね」
私も立ち上がって二人分のカップを片付ける。
香世子さんにお風呂沸かすねと言われて、梨香ちゃんのパジャマも借りる。新しい下着も出してくれた。
「いつも新しい下着置いてあるんですか」と驚いて言ったら、「梨香はしょっちゅう友達を泊めたがる子でね」と香世子さんは言う。
「大地が急に女の子を連れてきたのには驚いたけどね」
「拾ってくれたんです、私が落ち込んでたから。顔を忘れちゃって、先輩を怒らせちゃって」
香世子さんはそういえば、大地さんがサボったことも知っているはずなのに別に気にしてないようだった。もう社会人だから? 信頼してるってことかな。
「あら、そうなんだ。顔がわからないっていうのは大地のことも?」
「はい」
「じゃああの子、ホッとしたんじゃないかなぁ、変に期待されないで。わからないのかもしれないけど、かっこいいのよ見た目。でも中身が伴ってないから、女の子にはがっかりされちゃうみたい」
「そんなことないです。サークルでもみんなに好かれてて、優しいし、かっこいいです。顔のことはよくわからないんですけど」
「そう? ありがとう」
香世子さんは嬉しそうに笑った。本当は自慢の息子なんだろうなと思った。
ゆっくりお風呂に入らせてもらって髪もしっかり乾かして、「日の出を見るなら明日早いから」と香世子さんに言われるままにベッドに行った。
一日動き回って確かに疲れていたし、大地さんが帰って来る前に眠ってしまいたかった。
でも何度もさっきのキスが頭の中で再生されて眠れない。
ダメなことだ、悪いことだってわかってるのに、湧き上がってくる嬉しさを無視できなくて、そんな自分に動揺する。
大地さんにとってはただの弾みなんだとしても、それでも嬉しかった。全く対象外じゃないんだなって思えただけで、嬉しかった。
明日、朝日を見たら帰ろう。
私も彼氏がいるので、そういうつもりじゃなかったんですって顔をすればいい。旅先でちょっと気が大きくなっちゃったんですって。
今度はうまくごまかせるように頑張ろう。