グリーン・デイ
アヤカは舞台から少し離れて見ていた。
「怖いの?」
「ええ、私、高いとこ苦手なの。」
意外だった。アヤカにも苦手なものがあったなんて。まあ、それもそうか。苦手なものがない完璧な人のほうが怖い。ロボットのように感情がないんじゃないかとさえ思える。少なくともアヤカはロボットではなさそうだ。
それにしても、この清水の舞台からよく飛び降りるなんて聞くけど、高くてとても飛び込もうと思えるような場所ではない。ただ、もし僕が人生に疲れている時、この場所に来てしまったら、最高の死に場所だと感じて、迷いなく飛び降りてしまうかもしれない。
ただ、この清水の舞台。飛び降りるのは自殺をするためではないらしい。傍に居た60歳くらいのおじいさんの話によると、当初は江戸時代の人々が願掛けのために飛び降りたらしい。生存率85%という驚異の数字を出しており、この風習は明治5年に禁止になったのだという。
「自分の命を懸けてまで叶えたい願い事って、一体何なのかしらね。」
そう言って、アヤカが僕を見る。
「そうだな。多分、神様にしか叶えることのできない願いなんじゃないかな。息子の手術が成功しますようにとか、あとは恋愛が成就しますようにとか。」
「やっぱり、愛か死に関わることなのね。私、思うんだけど、切り詰めればどんな話も、愛か死になるっていうけど、実際私たちが今生きている世界も愛か死で結論付いちゃうんだろうね。その過程の種類はいろいろあっても、結局切り詰めたらそこなのよ。地球そのものが愛か死しかないからかしら。そう考えると、蛙の子は蛙って凄く意味の深い神聖な言葉だと思わない?」
「そうかもしれない。」僕は言った。もし、僕とアヤカの物語があるとして、その結末を切り詰めれば、愛なのか、死なのか。そのどちらでもないような気がしてきた。僕からアヤカへの愛はない。アヤカか僕が死ぬこともおそらくない。でも、家族とか友情も切り詰めれば愛だから、やはり愛なのかもしれない。
愛かあ____そうだ。