グリーン・デイ
幻想世界Ⅷ-モンスターと別れのキス-
京都から戻ってから、アヤカは残りのバイト休みを利用して、僕のノートパソコンを勝手に開き、ワードプロセッサーで何やら文章を作成していた。かれこれ3日目になる。
ノートパソコンは主にネットを使う以外の使い道はほとんどない。一応、ワードプロセッサーも入っているが、ほとんど使ったことはなかった。
それ以上に、僕はどうしてアヤカがこのパソコンを使えているのかが不思議でたまらなかった。パソコンを開くにはパスワードが必要なのだ。
「なんでパスワードわかったの?」
目線はパソコンに向けたまま「大体、自分の名前、誕生日、自分の名前を表した数字。それを組み合わせたものをパスワードに使う。定石でしょ?」と答えた。一枚上手だった。
「あれだったら迷惑メールを全部消しておいてほしい。」と頼んで、僕は心理学の授業の疲れをとるために、ベッドで横になった。心理学なんて取るんじゃなかったと後悔し、そのまま眠ってしまいたかったのだが、アヤカのキーボードを打つ音がそれを妨げていた。
「何を書いてるんだ?」
「小説。」
小説とは、あの小説のことらしい。それをアヤカが……盲点だった。
アヤカは文学が好きだし、会話からわかるように、その才があってもおかしくない。しかし、グリーン・デイの「アメリカン・イディオット」に魅了されたにも関わらず、ギターを手にしなかったアヤカが、なかなかどうして、自分でも小説を書いてみようと思ったのか理解ができなかった。
ガラステーブルの上に置かれた一冊の本が目に入った。都幾川美花の「デトックス」だった。何となくその理由がわかったような気がする。
都幾川美花は、有名なミステリー小説作家だ。24歳で新人賞を受賞して以来、数々の作品を世に送り出してきた。
そんな彼女のファンの間で、物議を醸している小説がある。それがこの「デトックス」だった。主人公の24歳女性とその夫の元に、一羽のコウノトリが一人の赤ん坊を連れてくる。その夫婦はなんとなくその赤ん坊を育て、なんとなく可愛がった。子供に対する愛情表現、例えば、主人公が子供を撫でてやるような描写があれば、モノローグで「子供はこうやれば大抵喜ぶのだ。」とあり、動物園に連れて行くシーンでは、「このまま走り回って、迷子になってくれないだろうか。」とある。
都幾川美花にしては珍しく、ミステリー要素がない。またファンタジー色が非常に強く、歪んでいる。ファンの間では彼女が書いたものじゃないという意見まで出てきて、僕も気になって図書館で読んだが、二ページ読んだだけで引き込まれた。それくらい衝撃的な作品だった。
アヤカは「デトックス」を京都の帰りに立ち寄った東京駅にある本屋で買った。最近、特に熱心にこの本を読んでいたなとは思っていたが、まさか自ら小説を書こうとまでアヤカをここまで本気にさせた、都幾川美花という小説家の偉大さが如実に表れている。