ポラリスの贈りもの
60、途切れていた絆
深夜1時のフランスマルセイユ。
灯りもついていない浴室で、下を向いて壁に両手をついたまま、
頭からシャワーを浴びている。
北斗さんはそのまま動かず目を瞑って、
約1万キロのある景色を思い浮かべていた。
『水平線に沈みゆく夕陽を見ながら僕は何を思う
激流に飲まれるように責務をこなし 長い一日をふりかえる時
ふっと隣にいてくれた君の存在に気づかされ
この心は大きな溜息とともに孤独の海に沈む
取り巻く世界がダークブルーに囲まれると
まるで深海の世界に迷い込んだようで
骨の芯まで凍りついたように冷たい
そこは光もなく音もない 寂寞な世界だ
蹲り凍える両手で両腕を抱きしめ
君のぬくもりを思い出しては夜空を仰ぎ知らされる
追うことを諦めたこの両足に繋がれた
固く重い足枷の鍵を持っているのは君
想い出の君と現実の君が重なる時
巻きついた2つの輪っかが外れ
僕の胸に抱きしめることができるのにと思う……』
(福岡県糸島市、“なごみ”キッチン)
どっぷり日が暮れて、ゲストハウス“なごみ”は慌ただしくなった。
敦くんの彼女、彩萌(あやめ)ちゃんも加わって、
地元の作家が作った皿に手際よく料理を盛り付けていく。
流星さんを含め、今日宿泊のお客4人の夕食と、
つねばあちゃんに敦くん、彩萌ちゃんに私、
計8人分の食事をテキパキと配膳した。
勝浦で30人近い食事を毎日作っていた時に比べたらとても楽だ。
大広間で食事をする流星さんを、キッチンから遠目に眺めていると、
なんだか勝浦の別荘とシンクロして、安堵感に包まれた私がいる。
調理場の食卓で食事を終えたつねばあちゃんは、
そんな私の後姿をじっと見ていたけれど、
茶碗を下げると私に声をかける。
恒子「星光ちゃん」
星光「はい」
恒子「食事が済んだら、今夜は敦と彩萌ちゃんに片づけを任せて、
東京の友達とゆっくり話したらどうね」
星光「えっ(驚)でも、明日の仕込みもあるし」
恒子「そげんこつ心配せんでよか。
久しぶりに会うっちゃろ?北斗流星さんと」
星光「う、うん」
恒子「ゆっくり話して、彼に元気をもらっておいで。
うちのことは、明日頑張ってくれたらよかけんね」
星光「つねばあちゃん……ありがとう」
(福岡県糸島、ゲストハウス『なごみ』2F、はまぼうの間)
流星「兄貴がこの宿がいいって言った意味が分かったよ。
料理はむちゃうまいし、名前の通りなんか和むしな。
焼めんたいこなんてサイコーだったよ」
星光「そうですか。それは良かったです(微笑)」
流星「うん。
実はさ。俺、今福岡で仕事をしてるんだ」
星光「えっ。もしかして、単身で?」
流星「いや。
社宅のマンションに涼子と引っ越してね」
星光「そうなんですね。
んーっ。福岡に住んでるのに、ここに宿泊?」
流星「あぁ。撮影のときはそういうこと珍しくないよ。
勝浦と一緒さ。
家があっても帰れない(笑)」
星光「そうですね(笑)
流星さんが福岡で、七星さんはフランス……」
流星「ああ。“四季”の撮影をすべて終了した後、
うちのチームはバラバラにされたんだよ」
星光「えっ!?」
流星「兄貴はフランスのマルセイユで、
浮城さんとカレンはドイツのヴィースバーデン。
そうそう。もうすぐあのふたり、結婚するんだよ」
星光「浮城さんとカレンさんが結婚!?」
流星「ああ。それに根岸は東さんと北海道だし」
星光「はぁ。北海道かぁ……
(根岸さんが北海道に行っちゃったら、
二人の付き合いってどうなってるの?
夏鈴さん、あれからどうしてるんだろう……)」
流星「それから、田所がうちに入社した。
それを期にあいつの親父さんの写真館も、
うちのグループ店になったんだ。
とにかくみんな元気にやってるよ」
星光「そうなんですね……
あの。いちごさんと田所くん、その後どうなったんですか?
流星「あの二人は、多分お察しの通りで付き合ってる」
星光「そうなんですね!良かった(微笑)
いつも感じてたことだけど、
スターメソッドも皆さんも規模デカすぎです」
流星「あははっ(笑)確かにそうだね。
でかいついでにもうひとつ。
沖縄と千葉にもある研修センターを、
今秋ここ福岡に立ち上げるんだよ。
その準備で俺が福岡に配属されたってわけ」
星光「そうなんですね。
もしかしてそれって」
流星「そう。
星光ちゃんが神道社長から斡旋された仕事も絡んでる。
寮母の仕事頼まれたんだろ?」
星光「はい。
そんな大きな仕事を私みたいな若輩者ができないです」
流星「相変わらずだなぁ。
自己評価低すぎだぞ。
まぁ、そこが星光ちゃんのいいとこでもあるんだけど、
神道社長は若いけど見る目もあるし切れ者だからな。
勝浦での仕事ぶりや周りの評価から見て、
君だったらできると思って声をかけたんだと思うよ。
だからもっと自信を持ったほうがいい」
星光「は、はい」
流星「俺が福岡に居る間は、またこうやって会って話せるから」
星光「そうですね(微笑)また話せますね。
(あのとき……
社長の話を受けていたら、こんな寂しさはなかったかもしれない。
母が言っていたように、七星さんとも笑って逢えたかもしれない。
私が七星さんから離れてしまったから、
みんなの生活も変わってしまったのかしら。
まさかそんなことはないよね)」
流星「ん?星光ちゃん、どうした?」
星光「いえ。大丈夫です……」
皆の日常を流星さんから聞きながら、あの日の分岐点に立ち返る。
それは懐かしくもあり、また寂しい気持ちも腹の底から湧いてきて、
まるでパーティが終わった後にひとりで片づけをするような、
なんとも言えない侘しさが襲ってきたのだ。
流星さんとの会話が途切れた時、
ノック音がしてドアの向こうから敦くんの声がする。
コンコン!(ドアのノック音)
敦の声「きら姉ちゃん、北斗さんにお客さんだよ」
星光 「はい。今行くわ」
敦の声「2階に通していいなら伝えるけど、どうしますか?」
流星 「通していいよ」
敦の声「わかりました。
姉ちゃん、なんかあったらダイニングにいるから呼んで」
星光「わかったわ。ありがとう」
流星「やっと来たかー」
星光「……」
流星さんはとても嬉しそうに笑みを浮かべている。
さっき言っていたけれど、
私も知ってる人とはいったい誰なのだろう。
そう思いながら頭をフル回転していると、
暫くしてドアをノックする音がした。
コンコン!(ドアのノック音)
流星 「はい。どうぞ」
女性の声「失礼します」
ドアを開けて入ってきたその人を見て、
私は驚きで言葉を失った。
それと同時に、両目から涙が一気に溢れ出す。
その人物とは……
夏鈴「キラちゃん!」
星光「か、夏鈴さん!?」
夏鈴「キラちゃんー。やっと会えたよー!
ずっと心配してたんだよ。
何度も連絡したのに携帯繋がらないし、
すごく寂しかったんだから!」
星光「ご、ごめんね」
夏鈴「キラちゃん、水臭いよ!
勝手にひとりで何処かへ行っちゃうんじゃないの!」
星光「夏鈴さん……」
流星「夏鈴さん。すぐここがわかった?」
夏鈴「ええ。ひろにいろいろ聞いてたし、
空港からタクシーで直行したんです」
流星「そう(笑)だったらよかった。
迎えにいければよかったんだけど、
仕事が入ってたもんで一人で来させて申し訳なかったね」
夏鈴「いえ。こちらこそ、チケットのことありがとうございます。
後でひろが流星さんに連絡するって言ってました」
流星「そう」
星光「どうして夏鈴さんがここに。
流星さん、何故?」
流星「根岸達ての希望でね。
あいつも心配してるんだよ、星光ちゃんのこと」
星光「根岸さんが、私のことを……」
夏鈴「そうだよ。
ここにきたのは私の希望でもあってさ、
ひろが流星さんにお願いしてくれたの。
キラちゃんに会ってどうしても伝えたいことがあってね」
星光「伝えたいこと?」
夏鈴「うん。私、ひろと結婚したの」
星光「えっ!」
夏鈴「名前も仲嶋夏鈴から桑染夏鈴になったんだ」
星光「夏鈴さん、おめでとう!よかったね」
夏鈴「ありがとう!これもキラちゃんのお蔭だよ」
星光「私は何もしてないよ。
浮城さんが夏鈴さんを誘ってくれたからだよ」
夏鈴「ううん。
キラちゃんが北斗さんと繋がってたから、
ひろと再会して切れてた縁がまた繋がったのよ。
ひろだってそう。
勝浦での仕事がなかったら、スターメソッドには入ってなかった。
キラちゃんと北斗さんは、私たちのキューピッドなんだからね」
星光「夏鈴さん。ありがとう」
流星「ふっ(笑)
二人とも、抱き合ったまま話してないで座ったらどうだ?」
夏鈴「そうね」
星光「本当に」
流星さんと夏鈴さん、二人との再会に感動し、
再び繋がれた絆を、はまぼうの間に立ち込める空気から感じとる。
濡れる両頬をエプロンの裾で拭い、やっと本来の自分に戻った時、
またもノックの後、ドアの向こうから敦くんの声が聞こえたのだ。
コンコン!(ドアのノック音)
敦の声「きら姉ちゃん。何度もごめん」
星光 「はい。敦くん、どうした?」
敦の声「もう一人、北斗さんにお客さんなんだけど、
2階に通していいかな」
星光 「えっ(焦)流星さん、今日二人来る予定?」
流星 「すまない。急遽決まったんだ」
星光 「そうだったんですね。
敦くん、お願い。上がってもらって」
敦の声「わかった」
流星 「食事の前に連絡取ったものだから、
言うのが遅れてしまって申し訳ない。
訪問だけで宿泊じゃないから」
星光 「流星さん。いいですよ(笑)」
コンコン!(ドアのノック音)
流星 「どうぞ!開いてます」
男性の声「失礼しまーす」
ゆっくりドアが開き、部屋に入ってきた人物を確認した私。
夏鈴さんが入ってきた時と同様、
激しい動揺で胸を突かれた様に言葉を失う。
潮の香り、砂浜、一日潜って撮影に疲れ果てたみんなの顔…
その人物の姿を見た途端、あの日の出来事が走馬灯のごとく浮かんでくる。
流星さんは、はまぼうの花言葉のように、
『楽しい思い出』を運んでくれたのだ。
一瞬静かになったほうぼうの間に、
途切れていたもう一つの絆が訪れたのだ。
(続く)
この物語はフィクションです。