ポラリスの贈りもの
16、覚醒した悪魔

トゥルルルルル、トゥルルルルルと左耳の奥まで伝わる。
携帯のコール音が成る度に、心臓はバクバクと波打ち、
北斗さんの声が聞けることを期待している私がいた。



星光「ん?……出ないな。
  もしかして、仕事中なのかな……」


結構長い時間コールしていたと思う。
手持ち無沙汰にデスクの上のボールペンを手に取って、
メモ用紙に何の意味もなさない円錐の図形や、
北斗さんの名前を書いてみたりする。
コール音を聞きながら、ただひたすら書き綴って。
でも、北斗さんに繋がらない。
留守番電話に切り替われば、メッセージを残そうと考えていたのに、
それも適わずで、ふーっと大きく息を吹きながら携帯のPWRボタンを押した。


星光「一時間くらいしてもう一度電話してみようかな。
  きっと緊急の仕事が入って出られないのかもしれないし。
  もしかしたら気づいているけど、傍に人が居て取れないのかも。
  きっとそう……
  着信も残してるんだから、連絡したことはわかってもらえるわよ。
  約束したんだもの。大丈夫よ。
  うん!さてっと、仕事しようっと」


何の根拠もない言葉で自分に言い聞かせる。
でも不思議と、以前のようなどうしようもない不安はない。
長い間、牢獄に居るかの如く、悪魔の鎖に拘束されていたけれど、
自由を手に入れ北斗さんとの再会を果たした今の私。
道端に咲く雑草さえも綺麗だと微笑むことができるのだから不思議。
事務所の出入り口にある姿鏡で身だしなみを整えると、
マナーモードにした携帯をエプロンのポケットに入れて、
元気な挨拶とともに売り場に戻ったのだった。



11時40分、東京都新宿区北新宿。
私の電話相手である北斗さんは、自宅マンションにいた。
スター・メソッド本社に向かう車の中で、
弟さんの奥さんである涼子さんから連絡が入り、
慌てて自宅マンションへ戻ったのだ。
リビングに入るなり、車のキーと携帯をテーブルに置いた北斗さんは、
ソファに横たわる涼子さんに駆け寄った。



(東京都新宿区北新宿。星光のマンション)


七星「涼子ちゃん!大丈夫か!?」
涼子「お義兄さん、ごめんなさい。
  今日は忙しいって分かってたのに、迷惑かけちゃって……」
七星「何言ってる。
  そんなことは気にしなくていい。
  ソファなんかに寝そべったままでいいのか?
  どこが痛いんだ?」
涼子「うん……
  左肩から背中にかけて突き刺すように痛くて」
七星「この辺りか?」
涼子「うっ……」
七星「そんなに痛むのか。薬は飲んだ?」


涼子さんは痛みで顔を歪め、こぶしをぎゅっと握って身体を固くする。
そんな彼女の右手を握り、
北斗さんは不安そうに見つめて背中を擦っていた。


涼子「薬は食後に飲んだんだけど」
七星「涼子ちゃん。検診日は明日だけど、
  これから高橋先生に連絡して診てもらおう。
  安静にしてても治まらないなら病院にいった方がいい」
涼子「うん……」
七星「ちょっと待ってろ」


北斗さんは涼子さんの髪を撫でながら立ち上がると、
リビングの脇にある固定電話の受話器を取って、
涼子さんのかかりつけである大学病院に連絡したのだ。


七星「もしもし。循環器外来をお願いします……」




ブンブン、ブンブン……


その時、テーブルに置いてあった北斗さんの携帯がバイブ音とともに震え、
ソファで横たわっていた涼子さんの耳にそれは伝わった。
真剣な声で病状を説明する北斗さんの声。
携帯の着信に気がついてないのだと判断した彼女は、
ゆっくり手を伸ばし携帯を手に取ると、表示する私の名前を見る。


涼子「濱生……
  (濱生星光って誰?)」


手の中で静かになった北斗さんの携帯を開き、
表示する名前が誰なのかを確認する涼子さんが取った行動。
それは私でも、彼女をよく知る北斗さんでさえも、
気づくことのない意表をついた行為だった。
アドレス登録の中に私の写真を見つけた彼女の指は、
一瞬止まったのだけど動揺することもなく、
今し方あった私の着信を静かに消去した。
そして何事もなかったように、
北斗さんの携帯の電源を落としテーブルに戻したのだ。
背中の痛みに苦しむ弱々しい彼女からは想像もできないくらいの強かさ。
自分の背後でそんなことが起きているとは知らない北斗さんは、
涼子さんの主治医の指示を仰ぎ電話を終えると、
小さくうなる彼女の許へ戻り、背中を撫でながら話し出す。


七星「涼子ちゃん、今から病院に連れて行くよ。
  一応入院の支度をしていくからな」
涼子「えっ?入院って何故?」
七星「高橋先生の指示なんだ。
  僕が留守中に発作でも起きたら大変だからね。
  病院ならもし病状が悪化しても安心だから」
涼子「入院なんて嫌よ。
  お義兄さんと離れるなんて寂しいわ」
七星「涼子ちゃん」
涼子「お義兄さんは私が邪魔?
  居ない方がいい?」
七星「そんなこと言ってないだろ。
  僕はただ涼子ちゃんの身体が心配なだけだ」
涼子「病院のベッドで一人寝たきりなんて辛いわ」
七星「ごめんね。弟が至らないせいで君に寂しい思いをさせてる。
  涼子ちゃん。何なら僕から流星(りゅうせい)に連絡して」
涼子「いいの!その話はもうやめて。
  あの人には私より大切なものがあるんだから。
  お義兄さんだって、そんなことわかってるはずでしょ?
  私は……私は、お義兄さんが傍に居てくれたらそれでいいわ」
七星「涼子ちゃん……
  とにかく病院へ連れて行くから」


北斗さんは、リビング隣にある涼子さんの部屋のクローゼットから、
前もって準備してあったボストンバッグを取り出し、
彼女の上着とバッグを持って玄関に向かう。
献身的で穏やかな彼の姿を、目を細めて微笑む彼女だったけど、
北斗さんから目を反らした視線の先は、
テーブルの上の動かない携帯に向けられた。
そして聖母マリアのような温かな笑顔から一転、
堕天使リリスのような不敵な笑みに変貌したのだ。
そんな彼女の隠された一面を知る由もない北斗さんは、
支えるように彼女に付き添い、車のキーと携帯を掴み玄関へ向かった。




その日の夜。
私と夏鈴さんは店を後にして社員寮へ向かう。
ひと仕事を終えて爽やかな表情で話す夏鈴さんとは対照的に、
時間が経つにつれて不安感が増しどんどん笑みが無くなる私。
その理由は、一時間おきに電話をかけても繋がらない北斗さんの電話。
歩く歩幅もだんだん小さくなり速度も遅くなる。
勘の鋭い夏鈴さんはそんな私の心境の変化を既に見抜いており、
寮の玄関前に着いた時、大きな溜息と共に呆れたように話し出した。


夏鈴「はぁーっ!だから言ったのよ。
  私は信用できないって」
星光「夏鈴さん」
夏鈴「元々、あの写真家達は私達とは別世界の人間なんだよ。
  私達の価値観と彼らの価値観、常識だってまったく違うんだから。
  日常の食生活だって『大根が一本100円なんて安ーい!』
  『今夜は発泡酒で自分にご褒美だわ!』って叫んでる私達とは違って、
  高級レストランでロマネ・コンティを何の躊躇いもなく注文したりして。
  平気で飲み干しちゃうのが当たり前の生活してるんだから」
星光「えっ……」
夏鈴「雑誌で読んだんだけど、あのケバい写真家のカレンなんて、
  六本木の高級マンション、リッチヒルズの最上階に住んでて、
  愛車はぴっかぴかの真っ赤なポルシェに乗ってるってさ。
  私達が二人でどう立ち向かったって敵いっこないわよ」
星光「リッチヒルズにポルシェ……」
夏鈴「あのね。本当に北斗さんがキラちゃんの言う通りの誠実な紳士なら、
  いくら忙しくても、着信履歴見て折り返しかけてくるでしょ。
  未だに連絡ないってことは、それだけの男だったってことでしょ」
星光「夏鈴さん……
  そんな悲しくなること言わないでよ」
夏鈴「いいえ、 何度でも言うわよ。
  呆れかえる程バカ正直な貴女に、
  誰がこんな適切なアドバイスするの。
  利用されてるってこと、いい加減自覚しなさいよね」
星光「……」
夏鈴「あっ。そう言えば店長から言われてたんだけど、
  明日から新入社員が入るらしいわ」
星光「えっ」
夏鈴「しかも、待望の男性社員らしいわー。
  地元出身じゃないらしいから福禄荘に住むらしいし、
  やっと私にも白馬の王子様の到来かしらね」
星光「福禄荘って?」
夏鈴「そっか。キラちゃんはまだ知らないんだっけ。
  福禄荘はCCマートの男性社員寮ね。
  岡崎店長は、幸福荘の管理人やってるからここに住んでるけど、
  独身男性社員はみんな裏にある福禄荘に住んでるんだよ。
  食事はうちの食堂で一緒に摂るけど、それは知ってるわね」
星光「ええ。CCマートって、社員に至れり尽くせりって感じよね」
夏鈴「そう!社長が太っ腹だし、社員を可愛がってるからね。
  給与も賞与もいいし、だからみんな辞めないわけ。
  だから、キラちゃんも簡単に辞めちゃもったいないよ」
星光「うん……」  
夏鈴「あーっ!お腹すいた!今夜はカレーだって。
  早く入ってご飯にしよう!」


いつも夏鈴さんの説得力ある言葉に反論できず、
お腹すいたと連呼する夏鈴さんの後を黙って歩く。
玄関からリビングを通って奥にある食堂に入ると、
私の身体は完全にフリーズする。
皆に交じってテーブルにつき、
大口で黙々とカレーライスを食べている人物が目に飛び込んだ瞬間、
全身に吃驚と動揺という大きな衝撃が走ったのだった。

(続く)


この物語はフィクションです。
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