ポラリスの贈りもの
17、届きそうで届かない距離

夏鈴「あーっ!お腹すいた!
  早く入ってご飯にしよう!」


いつも夏鈴さんの説得力ある言葉に反論できず、
お腹すいたと連呼する夏鈴さんの後を黙って歩く。
玄関からリビングを通って奥にある食堂に入ると、
私の身体は完全にフリーズする。
皆に交じってテーブルにつき、
黙々とカレーライスを食べている人物が目に飛び込んだ瞬間、
全身に吃驚と動揺という大きな衝撃が走った。
カレーライスを頬張るその人物が、ここに居るはずのない風馬だったから。
笑顔の夏鈴さんは風馬の座る席に向かっていたけれど、
話しかけても返答のない私のことを不思議に思い、後ろを振り返る。
そして茫然と立ち尽くす私の様子が変だと察して声をかけた。


夏鈴「キラちゃん。どうしたの?
  そんなところに突っ立ってないで早くおいでよ。
  ご飯食べるよ」
風馬「星光……星光!」
夏鈴「えっ」
星光「風馬。どうしてここに居るの……」


彼女の声に、風馬も動いていた手を止めて視線を私たちに向けたが、
私の姿を見た途端、驚いていきなり立ち上がった。
その反動で座っていた椅子が倒れ、
食堂に居た社員の視線が一斉に私達に注がれる。
ざわざわしていた食堂は一瞬で静まり返ったのだ。
好奇心旺盛な夏鈴さんは、風馬の座るテーブルにつくと、
「どういうこと?」と私たちに説明を迫る。
オロオロする私を見つめながら風馬は何の躊躇いもなく話しだした。


(CCマート社員寮幸福荘、食堂)


夏鈴「そっかぁー。幼馴染だったんだ」
風馬「はい。っていうか、それだけじゃなんだけどね」
夏鈴「ん?それだけじゃないって?」
星光「よ、幼稚園の年少さんから一緒で、
  小中って同じクラスだったし。
  まったく腐れ縁っていうかですね。
  あは、あはははっ」
風馬「俺は、お前に大事な用事があってここにきたんだ。
  笑って済ませるなよ!」
夏鈴「そっか。そういうことなら、キラちゃん。
  先に部屋に戻ってるから二人でゆっくり話したら?」
星光「夏鈴さん!いいのよ。私も一緒に部屋に戻る」
夏鈴「でもね」
星光「どうせ風馬の用事なんて、いつも大したことないんだから」
風馬「おい。これがどうでもいいことか?
  お前の本当の両親の話だぞ」
星光「えっ……
  なんで風馬が私の両親のこと知ってるの」


風馬の口から飛び出した「両親」という言葉に、
またも驚かされた私に再び緊張が走った。
風馬は真剣な力強い眼差しで私をじっと見つめてる。
ずっと気になっていた事とはいえ、知りたいような知りたくないような、
何とも矛盾した心持ちで、どんな事実を聞かされるかと思うと気が気ではない。
寄りにもよって、北斗さんのことで私の心は傷心気味だと言うのに。
無言でただ視線をぶつけ合っている私達の顔色を窺っていた夏鈴さんが、
小さくため息をついて口火を切った。


夏鈴「はぁ。久しぶりにあった二人なのに、
  この重苦しい空気ったらないわー。
  なんだか察するに、
  二人で話しさせたら喧嘩で終わっちゃいそうな雰囲気ね」
星光「す、すみません」
夏鈴「ねぇ、キラちゃん。
  風馬さんの話し聞いた方がいいと思う。
  もし聞くのが怖くて心細いなら傍に居るけど。
  私が聞いても支障のない話ならだけど、どう?」
星光「夏鈴さん……ありがとう。
  ええ、支障なんてないわ。
  夏鈴さんには濱生のことや親の話はしてるし、一緒に居てくれる?」
夏鈴「わかった。私、コーヒー持ってくるから応接室で話しましょう。
  キラちゃん、風馬さんと先に行ってて」
星光「ええ。風馬、一緒に来て」
風馬「あ、ああ」


夏鈴さんの心遣いのお蔭で、ちょっとだけ聞く勇気が湧いた私は、
風馬を連れて食堂に隣接する応接室に連れていった。  
地元福岡で、冗談を言ったりふざけ合ったりしていたとは思えないほど、
ぎこちなくて他人行儀な私達だった。



その頃、
体調の悪い涼子さんを病院へ連れて行った北斗さんはいうと……
子供の様に駄々をこねる彼女を残し、
病院から自家用車で仕事現場に向かっていた。
検査結果が思わしくなかったこともあり、
経過を見るために彼女は入院になった。
夕方、病院の待合室で携帯を見た北斗さんは、
OFFになっていたことに気がつき、慌てて電源を入れたのだ。
留守番電話には浮城さんのメッセージと、
カレンさんからのヒステリックな罵声が入っていて、
私の着信がないことに不安そうな顔を浮かべながら大きな溜息をついた。


七星「きっと電話してきてたんだろうな。
  星光ちゃん、すまない……」


現場のスタジオに到着した北斗さんは、撮影中の浮城さんの許にむかう。
撮影はひと段落ついていて、休憩に入っていた。



(新宿、スター・メソッド第一スタジオ)


七星 「遅れてすまん。
   陽立、今日はありがとうな。
   急に仕事変わってもらって助かった」
浮城 「いいさ。ちょうど自分の仕事が終わったところだったし。
   周りの手助けもあったからな。
   それより涼子さんの容態どうなんだ」
七星 「それが、思ってたより悪くて経過入院になった」
浮城 「そうか。そりゃ心配だな。
   彼女、狭心症だったっけ?」
七星 「ああ」
浮城 「あのさ。こんなこと俺が改めて言わなくても、
   お前はわかってることだと思うが、
   意地張らずに流星に連絡して、帰ってきてもらったらどうだ?
   このままずっと涼子さんと居たら、お前の将来のほうが危ういぞ」
七星 「今更あいつに連絡してどうなる。
   僕が連絡して帰ってくるような男か?
   妻より自分の野心と夢を選んで出ていった男だぞ。
   自らの意志で帰ってくるならまだしも、もう子供じゃないんだ」
浮城 「だけど、お前。
   あの子はどうする。
   カズを頼って福岡から身ひとつで上京してきたんだろうが。
   お前、星光さんに惚れてるんじゃないの?
   もしそうなら、
   二人の将来に涼子さんの存在は障害になるとは思わないか」
七星 「病人を放っておいて、自分の恋愛だ結婚だなんて僕は考えられない。
   僕の弟が仕出かしたことだ。
   兄として責任がある」
浮城 「兄貴なら何でもありなのか?
   俺は親友だからお前がどんな人間かわかってるさ。
   でも、世間はそう見てないぞ。
   お前が弟の嫁さんを奪い取ったと思ってる。
   それでいいと思うか!?
   それはお前の経歴にも傷がつくんだぞ」
七星 「他人が何と言おうと構わない。
   僕の経歴に傷がついて仕事を負われたとしてもな」
浮城 「カズ、お前はもうフリーの写真家じゃないんだぞ!
   スター・メソッドの名前を背中に背負ってることを忘れるなよ。
   評価はお前だけの問題ではなくなるんだ」
七星 「そうだな。その時は潔くここを辞めるさ」
浮城 「カズ!」
カレン「バカじゃない!?
   まだそんな自分勝手なこと言ってるの。
   あのひ弱な我儘女の為に、
   今まで苦労して築きあげてきたキャリアを自ら潰すつもり!?」


頑ななまでに不器用で、
我を通そうとする北斗さんの言葉を打ち破るかのように、
不機嫌そうな表情のカレンさんがスタジオに入ってくる。


浮城 「あらら。来ちゃったよ」
七星 「カレン。今日フランクフルトに行くはずだったろ」  
カレン「そうよ。カズのお蔭で私の仕事まで台無し!」  
七星 「そのことと、この仕事は関係ないだろ」
カレン「関係大アリよ。
   浮城ちゃん!」
浮城 「はい!」
カレン「カズの親友なら本当のことはっきり言ってやりなさいよ!
   浮城ちゃんだって、自分の仕事が手いっぱいで、
   あの女がカズに甘えて倒れるたびに、
   毎回代われるわけないだろって!」
浮城 「カレン!言い過ぎだぞ」
カレン「それに、貴方の代役をできる人間が今うちにいると思うの!?」
七星 「じゃあ、誰が僕の仕事を」
カレン「私よ。
   フランスの仕事してる東さんが私の仕事も請け負ってくれたの!」
七星 「光世が。陽立、本当なのか」
浮城 「あ、ああ。カレンがお前の仕事をやってくれたんだよ。
   前に受けてた押上と日本橋の撮影もカレンが……」
七星 「えっ。どうして言ってくれなかった」
カレン「私が口止めしたから。
   カズに言ったらぶっ叩いて、東京湾に沈めてやるって言ったからね」
浮城 「カズ、すまん。
   こいつ約束破ったら本当にやりそうだしね」
七星 「カレン……。
   ほんとに申し訳なかった。知らなかったんだ」
カレン「カズには解らないのよ。
   心から心配してる人間の気持ちなんて。
   言われた人間がどれだけ傷ついてるかもね」
七星 「カレン?」
カレン「カズがあの女のことを庇えば庇うほど、
   自分の首だけじゃなく、私達チームの首まで閉めてんの。
   いい加減、目を覚まして現実と向き合いなさいよね。
   浮城ちゃん、後のことは頼んだわ」
浮城 「カレン、もう帰るのか?
   せっかくカズが来たんだし、仕事終わったらみんなで食事しようぜ」
カレン「いいえ。こんな骨のない男と一緒に居たくないの。
   カズ。今の貴方、らしくないわ。むちゃくちゃ格好悪い。
   以前はもっと威厳があって男らしくて、
   ファインダーを覗きこんでシャッターを押す姿がとても魅力的だった。
   プロならプロらしく、自分の仕事に責任とプライドを持ちなさいよ」
七星 「……」


容赦なく言い放たれた現実的で迫力ある言葉には、
傲慢で強がりなカレンさんの言うに言えない胸の内が見え隠れする。
彼女の本心を北斗さんも感じ取っていたようで、
無論、その心を受け止めてあげることも、反論することも、
帰ろうとする彼女を引き留めることもできず、ただ黙って見送るしかない。
そんな彼の肩をポンポンと叩く浮城さんの表情も不安げだ。
去っていくカレンさんの後ろ姿は、いつも威圧感ある彼女とは違って、
どことなくか弱く寂しそうにふたりには写っていた。



(CCマート社員寮幸福荘、応接室)


風馬はバッグの中から、大きなA4封筒を取り出して私の前に差し出した。
私は封筒を受け取ると中から、書類らしきものと数枚の写真を取り出す。
その姿を心配そうに見守る夏鈴さんが傍らにいる。



風馬「それは星光の両親に関する書類だよ。
   星光の両親は東京の吉祥寺に住んでる」
星光「吉祥寺……」
夏鈴「吉祥寺なんて目と鼻の先じゃない」
   

北斗さんに、実の両親の存在。
いろんな雑念を捨てて、欲している心のままに思い切り手を伸ばせば、
届きそうな距離なのに、なぜが手の届かない距離。
私の視線は一枚の写真にくぎ付けになり、写真を持つ手が小さく震える。
ジレンマなのか、それとも諦めなのか、
胸のまん中に熱いものが込み上げてきて、大粒の涙が溢れた。
一瞬で、私の心を掴んだその写真とは、
赤ん坊だった私を抱っこしている父と母の、
幸せそうに微笑んでいる写真だった。

(続く)


この物語はフィクションです。
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