ポラリスの贈りもの
3、魂の呪縛
幼馴染の風馬に諭され、
嫌々ながらに自宅である旅館“大神楽”に戻った私。
こっそりと裏口から自分の部屋へ戻ろうとした私の背後から、
女将であり母である数子の甲高い、いかにも機嫌悪そうな声が聞こえた。
数子「星光さん。ちょっといらっしゃい!
お父様がお呼びよ」
星光「は、はい……
(あぁ。絶対に叱られる)」
私はくるりと向きを変え、母の後ろについて母屋の応接間に向かう。
長い廊下を歩きながら中庭を見た時、植込みの陰に人影が見えた。
私はそれが誰だったのかわからないまま、
父であり当主でもある勝憲の待つ応接間に入っていった。
挨拶をしてふすまを開けると、そこには眉間に皺をよせる和服姿の父と、
厨房に居るはずの颯が正座して座っていた。
母は黙ったまま父の横に座り、何か言いたげな顔で私を見ている。
何故ここに颯が居るのか、始めは理解できずにいたけれど、
座った途端、父から発せられた言葉で、
私が呼ばれた理由と、ここに彼がいる理由がわかったのだ。
勝憲「星光。お前に聞くがどんな理由があって、
颯との婚約を解消すると言った」
星光「えっ!?
(それってどういうこと。颯がそう言ったの!?)」
数子「そうよ、星光さん。
こんな仕事熱心で腕の立つ温和な颯さんに悲しい思いをさせて、
貴女たちの婚姻が済んだら、
これから先は二人でこの大神楽を担ってもらうことになるのに」
勝憲「まぁ。今どきの若い者のことだ。
喧嘩の一つでもして仲違いしたのなら、
今ここで治めてしまえばいいことだ。
しかし、お前が颯の誠実な気持ちを踏みにじり、
裏切る様なことをしていると知れば、
どんな理由があるにせよ、これは見過ごすわけにはいかん。
どこの馬の骨ともわからん男と公衆の面前で抱き合い、
颯を捨て婚約破棄などもっての外だ!
何人もの従業員がお前の破廉恥な所業を見てるんだぞ。
まったく情けない。恥を知れ!」
星光「(どういうことになってるの?なぜ私になってる!?)」
勝憲「それに婚約したと言うことは、颯は私の息子同然だ。
悲しませ傷つけるなど言語道断!例え実の娘でも容赦はせん!」
颯 「社長」
勝憲「万延元年(1860年)創業以来、
先祖代々から受け継がれたこの大旅館も今年11月で150年。
創業者である濱生吉太郎からお前の代で9代目にあたる。
その誇らしくめでたい節目の年に、
人様に顔向けできないようなことをしおって。
ご先祖様や“大神楽”の看板に泥を塗る様なことだけは絶対に許さんぞ!」
星光「……」
数子「星光さん。何とか仰いな」
颯 「あの、社長。女将。彼女をあまり責めないください。
私が悪いのです。
私が至らないばかりに、彼女は他の男性に心奪われてしまったのです。
こんな微力で頼りない男なのですから愛想を尽かされても仕方がない。
不甲斐ないこの私の責任であります。
こんなことになってしまい、大変申し訳ありません。
もし、許して頂けるならもう一度、
星光お嬢様とふたりでやっていきたいと思ってるのですが」
星光「(よく言う。加保留のこと抱いておきながら)
数子「颯さんったら。貴方は何も悪くないですよ。至らないのは星光です。
貴方は若くして料理長という大役をこなす傍ら、
何一つ不平不満も漏らさず、
この旅館のために夜通し動いてくれてるんですもの。
今までそれなりに苦労もあったでしょうにね。
それに引き替え、星光さん!
貴女は女将としての作法や礼儀もまだなってない。
しかも人前で抱擁なんてことを。ご先祖が泣きますよ!」
星光「(そういうこと。私が悪者ね……)
お父様。お母様。ご先祖がなによ。女将がなんなのよ。
何故、私だけが自分の人生なのに、
今から歩く将来を勝手に定められなければならないの?」
勝憲「今頃何をたわけたことを言ってるんだ!お前は!」
数子「そうですよ!
それに貴方が濱生家の長女なんだから家督を継ぐべきでしょ?」
星光「私じゃなくたって、真弓や真純が居るじゃない。
真弓は日本舞踊も習ってて名取の資格を貰ってるし、
礼儀作法も茶道も華道も嗜んでる。
真純だって海外留学して、
国際ビジネスではいろんな知識を持ってるわ。
どう考えたって、妹たちの方が断然女将としてふさわしいのに、
なのになぜ、長女に生まれただけで私なの!?そんなの理不尽だわ」
その言葉で座っていた父が急に立ち上がり、私の前に立ちはだかると、
思い切り右手を振り下し、私の左ほほを平手打ちした。
叩かれた反動でよろめき体制を崩した私に、颯がすかさず近寄り肩を抱く。
勝憲「こんなふしだらで身の程を知らん奴に、
この“大神楽”の看板を背負う資格はない!
目障りだ!とっとと私の前から消えろ!」
颯 「社長!」
星光「ふっ……分かりました。
お父様もお母様も大嫌いよ。
こんな家、私から願い下げよ!」
数子「星光さん!」
颯 「(星光。すまん)」
私は颯の手を振り払い、立ち上がると持っていたフォトブックを胸に抱え、
下を向いて泣きながら足早に部屋を出た。
長廊下を走り裏口から外に出ると、
池のある中庭を横切り、奥に建つ離れへと向かったのだ。
離れの玄関まで行くと、あまりの悲しみから身体が震え、
私に襲い掛かった数々の裏切りが再び押し寄せくる。
心臓の鼓動に合わせてどんどん涙が溢れてきて、
私はその場にしゃがみ込んだ。
そこへ……
星光「颯、ひどすぎる。
自分がしでかしたことを私のせいにするなんて……」
加保留「あら?星光。どうしたの?」
私は加保留の呼びかけに、顔を上げ立ち上がると、
慌てて涙をぬぐい、戸惑い動揺しながらも振り返る。
星光 「加保留」
加保留「老舖大旅館のお嬢様だからって、
何でも許されるわけないではないの」
星光 「何言ってるの?
加保留、私達小学校から親友で仲良くしてきたわよね?
今まで何でも分かち合ってきたわよね?
私は貴女を信じてたのに。
なのに何故、颯とあんなことを…」
加保留「やっぱり見てたのね。私たちが愛し合うとこ(笑)」
星光 「……」
加保留「だって、星光は私の大切な颯を困らせてこき使ってるんだもの。
それに親友だからって好き勝手にしていいの?
大体は貴女が私から颯を取り上げたんでしょ?」
星光 「取り上げたなんて!私は颯から告白されて、それで」
加保留「それはあんたのお門違いなのよ。
私と颯は中学時代から付き合ってたの。
なのにいきなりあんたが私たちの間に入り込んで、
颯の前で家柄の良さと愛想を振りまいては泣き落とすんだもの。
颯は優しい人だからね。
泣いて困ってるあんたをみれば当然ほっとかないわ。
でも、颯は私にとって掛け替えの人なの。
還してもらうからね!」
星光 「もしかして。今回のこと父に話したのも加保留なの!?」
加保留「ええ。叔父様は私のことを気に入ってるからね。
すぐ信じてくれたわよ。
星光。貴女の傍には風馬がいるじゃない。
貴女達ならほんとにお似合いよ。
ここを離れて何処かでふたり、ひっそりと所帯でも持ったら?(笑)
とっとと颯と別れて!私たちの前から早く消えてくれない!?」
涙をぐっと堪える私は、勝ち誇ったような加保留の笑みに耐えられず、
無言のまま玄関のドアを開けると思い切りドアを閉め家に入る。
星光 「そうよね。
父親からも親友からも「消えて」なんて言われて。
私ってこの世にいる意味や価値があるのかしら。
ほんと。加保留の言うとおりかもね……」
婚約者と親友の裏切り。
親はもちろん、誰も私を理解してくれる人はいない。
子供のころからそうだった。
親・姉妹親戚身内も、私の味方は誰一人居なくて、
私は小さい頃から孤独と抑圧を感じながら育ってきた。
熱く希望に燃えていた魂や純粋な感情を殺し押さえつけ、
自分を偽り『大人しくていい子』のレッテルを背中に張り付けられ生きてきた。
そんな私の胸の内を理解してくれていたのは、幼馴染の風馬だけ。
でもいつか、私を救ってくれる素敵な旅人が現れて、
背負い続けてきた呪縛から解放してくれると、
この細胞に包まれた魂が微かに、そして密かにそれを信じ願っていた。
私は持っていたフォトブックを再度開き、
あのニット帽の北斗七星さんがかけてくれた言葉を思い出す。
七星「良かったらさ、僕とくる?」
もしかしたら、彼が呪縛を解きてくれる旅人なのかも……
私は、二階に上がる階段に座り込み、じっと表紙を眺めた。
そして3ページ目を開き、青々したもみじの葉が揺れる水面の写真を見る。
(『君を訪ねて……』P3)
『こんなところでどうしたの?
迷子にでもなったのかい?
まるで行き先を見失って震える子猫のようだ
どうして そんなに悲しい目をして立っている?
もし良かったら話してごらんよ
今まで君が背負って(しょって)きた悲しみや苦しみ
僕に半分持たせてくれないか?
それで君の足が軽くなり 笑顔の数が増えるなら
僕は喜んで 君に手を貸そう
そして君に溢れんばかりの愛も与えよう』
星光「君を訪ねて……か。
私も訪ねてみよう。貴方を。
スター・メソッド支社。
セーフヘブンホテル……」
私は両手でぎゅっと本を抱え、
目を瞑って彼に出会った光景を思い出しながら、
明日、彼に会いにいくことを固く決意したのだった。
(続く)
この物語はフィクションです。