ポラリスの贈りもの
31、サイコパス
北斗さんは階段を一気に駆け上がり、
走ってきたその勢いのままノックもせずに、
社長室のドアを思い切り押し開けた。
(北新宿、スターメソッド。7階社長室)
そこには神道社長と東さんが千葉勝浦の件で打ち合わせ中で、
深刻な表情でソファーに腰かけ話していた。
北斗さんにしては珍しくノックもせず入ってきたことと、
その表情から只ならぬ事態を察したのか東さんが声を掛ける。
東 「七星!どうした。ノックもせずに」
神道「何かあったのか」
七星「神道社長!はぁはぁ、根岸は。
根岸洋紅は何時ここに来たんですか」
神道「ん?あの男は昼過ぎに来て2時間ほど話して帰ったが、
それがどうかしたか」
七星「昼過ぎ!?
(じゃあ、あのシャッター音は根岸じゃないのか)」
東 「七星、何か気になることでもあるのか?」
七星「は、はい。
どうしても気になることがあって、5年半前の撮影の時に」
プルルルルルルルッ……(光世の携帯着信音)
東 「ちょっと待ってくれ。
(受話ボタンを押す)もしもし。
……ああ……それで?…
うん。………そうか……うん」
神道「七星。立ってないでここに座れ」
七星「は、はい。すみません」
まだ息の整わない北斗さんに小さな声で座る様に促した。
東さんは話しながら立ち上がり、神道社長のデスクまで歩くと、
デスクのメモにペンを走らせて何か書き留めている。
その表情は相変わらず深刻そうで、
受け答えする声からも察することができる。
神道社長も東さんの話し声を聞きながら、
根岸が持ってきたとみられる資料を見ていた。
5分は話していただろうか。
東さんは携帯のボタンを押して、
ちぎったメモを持つと窓に凭れ、大きな溜息をついた。
北斗さんは東さんの顔色をじっと見つめている。
神道「光世。先方はなんだって?」
東 「僕らが睨んだ通りだった。
やっぱりその資料には記載してない。
撮影は千葉県勝浦市大沢。
通称『おせんころがし』と呼ばれるところが撮影拠点で、
昴然社はうちだけでなく、他にも仕事を依頼していたようだ」
七星「あの悲話で有名な、断崖のおせんころがし……」
神道「そうか」
東 「撮影にかかわったのは昴然社、
KTSにあと2社がこの仕事に携わった。
だが3社とも、撮影中に機材トラブルや怪我人が続出したという理由で、
撮影続行を断念してうちに持ってきたわけだ。
こりゃ厄介な仕事になりそうだぞ」
神道「伯 本次郎。あのサイコパス野郎が」
根岸洋紅の存在に違和感を覚え、
神道社長のもとへ向かった七星さんだったが、
東さんが受けた報告により、疑念がさらに深まる形となった。
その疑念は七星さんのみでなく、ここでも。
(スターメソッド立体駐車場)
謎の男「摩護月カレンさん」
カレン「えっ(驚)」
カレンさんはドキッとしたと同時に動きを止め、その声の主を捜した。
しーんと静まり返った駐車場に、
どこからともなく彼女を引き留める低い声は、
カレンさんの真っ赤なポルシェの横に止まってる、
黒い4WDの向こうからする。
問いかけに答えるそのグレーの声が、薄暗い蛍光燈の下に姿を表すと、
彼女は謎の男を見るなり、驚きを隠せず声をあげて息を呑んだ。
カレン「そこにいるのは誰!?」
男 「久しぶりですね。
まさか俺のこと忘れてないですよね」
カレン「貴方……何故ここにいるの!」
男 「まぁ、詳しくは俺の車の中で話しましょう」
カレン「何故、私が貴方の車に乗らなくちゃいけないの」
男 「いやね、商談が済んで、
駐車場に向かってたら偶然聞こえるもんだから。
貴女の泣き叫ぶ声が。
ふーっ(タバコの煙を吐く)
お蔭で、さっきはいい画が撮れた」
カレン「えっ!?」
男 「まだ諦めてなかったんですか、あの男のこと。
男を掌の上で転がすようなカレンさんが、
5年も一途に恋心を貫き通すなんて意外だな」
カレン「話って、そんなことなの」
男 「いえ、貴女に損のない儲け話ですよ」
カレン「だから!用があるならここで話しなさいよ」
男 「いいんですか?こんなところで立ち話してて。
もしかしたら、また北斗七星がやってくるかもしれない」
カレン「カズが……」
男 「俺が守ってあげますよ。
貴女のような才能溢れて魅力ある女性を泣かし、
心まで踏みにじって仕事からも締め出すなんて酷い男だ」
カレン「そ、それは……」
男 「さぁ、どうぞ(助手席のドアを開ける)
話が終わったら、俺が家まで送りますから乗って」
カレン「……」
コールドリーディングのような相手の強気な発言に、
カレンさんは言葉を失う。
言われるがまま、カレンさんは導かれるように車に乗った。
この馴れ馴れしく話す謎の男。
そう。今回の大騒ぎの張本人、根岸洋紅だったのだ。
根岸さんは助手席のドアを閉めると、
運転席にいきエンジンをかけて発進させた。
(根岸の車中)
カレン「それで話って何なの」
根岸 「まぁ、5年ぶりに再会したんですから、積もる話もあるでしょう」
カレン「私はないわ」
根岸 「俺はあるんだなぁ。
忘れてませんよね。
5年半前、黄金通信社の宮崎・沖縄・立山撮影の約束」
カレン「えっ。あの話はもう……」
根岸 「まだ、終わってませんよ。
俺はやるって決めた契約は結果が出るまでやるんで。
あの時はクレーン事故から貴女を守った男ですよ?
自分を犠牲にしてね。
北斗兄弟の横に居た邪魔者たちも居なくなった。
そのお蔭で貴女はその美貌を保つことができてる」
カレン「そ、それは(焦)」
根岸 「今日、神道社長と商談をまとめてきました。
俺のボスからの命令でね、来月から1年半また潜ってもらいますよ」
カレン「ボスって、貴方誰に使われてるの!」
根岸 「伯社長ですよ、昴然社の。
俺、今はそこにいるんですよ。
あの社長は俺の才能を買ってくれまして、
今じゃ社長代行業務までやらせてもらってます」
カレン「貴方が伯社長と……」
根岸 「さっきの北斗の話っぷりじゃ、
貴女、今回の仕事から外されそうな勢いでしたね」
カレン「あっ」
根岸 「俺が絶対外させませんから。
明日はきっと慌てて連絡があるでしょう。
それに、もう一人邪魔者を消さないといけないでしょ?」
カレン「もう一人って、誰?涼子だったら」
根岸 「涼子?あぁ、流星の。
あの女はもうくたばりかけてる。
ほらっ、もう一人居るでしょ。
濱生星光っていう、貴女の最強のライバルですよ(笑)」
カレン「な、なんで、あの子のこと知ってるの」
根岸 「さっき言ったでしょう。
偶然聞こえたって。
報酬は5年半前に全額貰ってますからね。
最後までやり遂げないと、どうも目覚めが悪くって」
カレン「そうよ。支払いは終わってるんだから、
それでもういいじゃない。
あの時ももう十分やってくれたわよ。
大けがまでして貴方も大変な思いをしたんだから、
契約はもう完了でいいじゃない。ねっ」
根岸 「良くはないですよ。
俺、あの事故で大切なもんすべて無くしたんですよね。
ずっと宝物にしてたんだけど、あっさり奪われたんです。
だから、これから取り戻そうと思ってますよ」
カレン「えっ」
根岸 「それに、いいんですか?
濱生っていう娘に5年も思い続けた男を奪われても」
カレン「そ、それは……」
根岸 「俺なら、貴女に北斗七星をプレゼントできる。
もう施策をうってあります。
貴女がやったことはバレることもなく、ライバルを葬る方法でね」
カレン「葬る」
根岸 「貴女は俺の雇い主だ。
だから俺は全面協力しますよ。
摩護月カレンさん」
カレン「……」
根岸さんの甘いマスクから漏れる毒を含んだ笑みに、
カレンさんの背筋に寒気が走った。
彼女は自宅に着くまで、ずっと彼の策略を聞きながら、
駐車場出入り口で北斗さんに言われた言葉を思い出す。
『僕は濱生星光に惚れてるんだ!』
カレン「本当に……カズを私にプレゼントしてくれるの。貴方が」
根岸 「ふっ(笑)もちろん。
やっとその気になってきましたね。
任せておいてください。
俺の後ろ盾には伯社長も居るんですよ。
もし、スターメソッドに居られなくなっても、
昴然社が今より倍の契約金で、
カレンさんと北斗七星を迎えてくれます。
俺の一言があればね」
カレン「そうね……それもいいわね。
部下にいいなりの神道社長より物分かりがよさそう」
根岸 「よし!これで交渉成立ですね」
カレンさんの傷を負った心がどうしても北斗さんを諦めきれず、
根岸さんの巧みな言葉に縋ろうとしている。
用意周到に練られた人情味のない希薄な計画に、
なぜか言いようのない安堵感を感じているカレンさんだった。
翌朝、私は事務所に入るなり店長に退職届を提出した。
しかしすぐには受け取れないと、なぜか突き返される。
その訳は、今月で辞めると退職届をだした人間が、
もう一人居るからということだった。
聞いてすぐはそれが誰なのか思い浮かばなかったけれど、
レジ打ちをしていて、風馬の姿のないことに気がついた。
夏鈴さんに聞いても見てないと言い、他の従業員も知らない様子。
昼休みにタイムカードを確認してみると、7:45と刻印されている。
そしてその日一日、風馬の姿を見かけることはなかったのだ。
夏鈴さんも心配していて、
きっと昨夜の件がキッカケになってるのは明らか。
もう一人の退職希望者は風馬なのだと寮に戻ると確信に変わる。
仕事が終わって一目散に食堂に入ってみても、風馬の姿はない。
思い切って男子寮に行ってみるも、風馬の部屋の表札は外れていた。
制服のポケットから携帯を取り出し、後先考えず風馬に電話したが、
留守番電話に切り替わって、ピーッとメッセージ発信音が鳴る。
星光「風馬、私。
また、ひとりぼっちになったみたいに感じるよ。
今、どこにおると?……」
ポツリと独り言のように呟き、電話を切る。
私は自分がしたこととは言え、
何とも情けない寂しい気持ちに襲われた。
夏鈴さんはまだ残業で帰ってこないし、
北斗さんからあるはずの連絡もない。
食事を終えるとひとり部屋に戻り、
不安で物悲しい心を抱えて、約束通り母に電話をした。
母は病院の廊下で聞いた穏やかな声で語りかけてくれる。
その声は正に赤ん坊をあやす居心地の良い声だった。
母は暫くすると私の様子がおかしいと悟ったのか、
来週末会って食事をしようと誘ってくれた。
その優しさに触れて、
私を覆っていた不安のベールが多少なりとも軽減される。
母との会話が終わった後、携帯を握りしめて一心に祈る。
北斗さんと風馬からの連絡がありますようにと……
潰されそうなほど孤独な心が、
ずるくて浅はかな私を作り上げていく。
そんな自分本意とも言える祈りは無情にも届かず、
北斗さんが私に連絡できない理由。
それは無論、前日の根岸さんの登場があったからで、
スターメソッドと東さん率いる北斗チームは、
狡猾に寄生するサイコパスにより追い込まれていたのだった。
(続く)
この物語はフィクションです。