ポラリスの贈りもの
波の静かな月明りの中、凪いだ翡翠色の海が夜空を映したその日の夜。
撮影が終了して、みんなの許へ東さんも駆けつけた。
別荘には、北斗さんに流星さん、浮城さんに根岸さん。
田所くんに、スターメソッド10年勤務の古株社員の二名、
Cチームでカメラマン歴30年の鍋島さんと、Bチームの水野さんが滞在し、
リビングでは大の男が7人、
撮影談義をしながらお酒を酌み交している。
水野「根岸はいつからポートレート〔※1〕やヌード撮影に鞍替えしたんだ?
お前、今までずっと野鳥と天体の写真を専門にしてたろ?」
根岸「えっ!ああ。4年前からですかね。
鞍替えしたって言っても、俺はまだ半人前ですからね。
やっぱ、ヌードでは鍋島さんにかなわないですよ」
浮城「だよな。ヌード撮影で群を抜くのは鍋さんだろー。
自分の奥さんのヌード写真集で儲けた男って、
うちの社内では有名な話だよ?」
田所「えーっ!
普通は奥さんの裸を他の男たちに見せたくないでしょー!
僕だったら絶対に嫌だなぁー。
自分の彼女の裸体を僕以外の男に見られるなんて!
死んでも嫌です!」
根岸「初心な奴だねー(笑)」
浮城「鍋さんの奥さんは元うちのモデルだから」
田所「はぁー」
流星「撮影中に口説いて“押しの一手”で射止めたわけ」
浮城「それを言うなら鍋さんの場合は“オスの一手”でしょ」
鍋島「この世に男として生まれたら、
女を求めるのは自然の摂理だと思わんか?」
水野「まぁ、それはそうなんだけど。
鍋さんの場合はちょっとなぁー(笑)」
田所「ち、ちょっとなーって、何なんですか。
まだ何か凄いことがあるんですか?」
流星「そうだった(笑)撮影あるあるだ。
ファインダーをのぞきながらレリーズ〔※2〕を握って、
シャッターを切る度に、
『俺の嫁になれー、俺の嫁になれー』って呟いてさ」
浮城「そのうちシャッターの連写音まで、
『嫁、嫁、嫁……』になるんじゃないかって(笑)」
根岸「ぷっ!ゴホゴホッ!」
流星「打ち合わせの時には映写機で撮った画像を繰り返し見せて、
その中にしれーっと、
自分の画像をわからないように混ぜて流してるんだ」
田所「うっ!それじゃあ、サブリミナル効果じゃないですか」
浮城「それが今じゃ、奥さんが仕返しに、
鍋さんのカメラで隠し撮りして、
社報の“私のフォーカス”欄に、
鍋さんの太鼓っ腹の全裸写真を投稿して、
しっかり入賞して5万も儲けてるもんな」
東 「そうだったな。
そのタイトルが“私はこれに騙されました”だからな(笑)」
全員「あはははははははっ!」
田所「あは、あははははっ……
(この人達、やっぱりただ者じゃねー。みんな、怖ぁ……)」
撮影秘話や失敗談、恋愛話が笑いと共に飛び交う中で、
北斗さんはじっとソファーに腰かけて、
みんなの話に耳を傾けながら、
愛用のカメラをメンテナンスしていた。
それを見た東さんが席を立ち、北斗さんの横に座る。
東 「七星。明日もうひとり、潜りのできる新人を連れてくるから、
Aチームで面倒みてやってくれな」
七星「ああ。分かった。で、どんな奴なんだ?」
東 「履歴書を見た限りじゃ、
潜りに関してはプロ並みで経験豊富だぞ。
船舶免許も取得しててボートの操船もできるし、
資格もかなりのもんだな。
ただ、水中撮影はあまり経験してないから、
こっちで少し知識は教えておいた」
七星「そうか。僕たちのサポートができる奴ならそれでいいさ」
東 「それから、ここでの食事を作る調理人も、
明日の夜からくることになったんだ。
生が商談の合間に連れてくるからな。
泊まり込みで働いてもらうから朝昼晩、
三食まともな食事ができるようになるぞ」
七星「それは助かるなー。
僕たちだけじゃ、カレーライスか焼肉ぐらいしかできないからな。
コンビニ弁当やカップラーメンにもそろそろ飽きてきたし、
カレンも今居る女性陣も、料理は全く駄目らしいから(笑)」
東 「そうか(笑)それと、これからは交代で休みも取れるようにする。
流星の奥さんは病み上がりだし、
たまにはみんなも家に帰りたいだろう」
七星「ああ、そうだな……ところで光世、いい人材を見つけたな」
東 「ん?田所のことか」
七星「ああ。あいつはいいよ。良い写真を撮る。
それに、ロケ経験のある田所がチームに加わったお蔭で、
仕事がスムーズに進んでて助かってるよ。
中庸で、ああやってまったく物怖じせずに周りに溶け込んで、
ムードメーカーだから撮影も和んでる」
東 「そうか。田所の性格も、僕らの世界でも無垢だからな。
透明で一点の曇りもない。だから作品にもそれが表れてる。
まぁ、僕たちもそういう時期があったんだか(笑)」
七星「そうだな(笑)今じゃ、どっぷり泥水に浸かってる」
二人「あはははっ(笑)」
七星「彼に聞いたんだが、黄金の撮影メンバーだったって?」
東 「そうなんだ。僕たちも履歴書を見て驚いたよ。
それに田所から当時のことも聞けたし、
そういう意味でもかなりの収穫だ」
七星「やっぱり。そうだろうな」
東 「なぁ、七星」
七星「ん?(レンズを外し、ブロアー〔※3〕をかける)」
東 「お前、この仕事が決まった時から様子がおかしいぞ」
七星「……そうか?」
東 「もしかして、濱生って子のことが気になってるのか。
オファーを断ってから彼女のことを何も言わないが、
連絡は取ってるのか?」
七星「いや、取ってない」
東 「いいのか?その子はお前を頼りに東京に出てきたんだろ」
七星「この撮影が終わるまではどうにもならないし。
それに。彼女の傍には、僕よりも頼りになる人間が居るからな」
東 「そうか?それならいいんだが。
僕たちがこの契約話をした日、
お前スタジオで何か言いかけただろ?
5年半前の撮影で気になることがあるって」
七星「ああ」
東 「そのこともずっと気になっていたんだ。
僕が明日からは泊まり込みで入れる。ゆっくり話を聞くよ」
七星「そうだな。光世に知っておいてほしいことがあるんだ」
東さんと七星さんは、30畳もあるリビングの床で胡坐をかき、
笑いながら盛り上がる仲間たちの姿を、
微笑みながら見つめ話しを続けていた。
翌日。秋半ばにしては眩しいほど晴れ上がった午後。
南西の海風は穏やかに道端のススキの群れを撫でていた。
今日は朝からカレンさんと根岸さんの居るBチームが潜り、
Cチームが撮影とダイビングサポートに入った。
そして、Aチームの浮城さんと田所さんは買い出しに出かけ、
北斗さんと流星さんは一階リビングで、
昨日撮影した編集作業を熟している。
そこへ、東さんの車が駐車場に到着し、
助手席から男性が一人下りてきた。
東さんはトランクを開けると、
カメラバッグとトラベルバッグを下ろし、
追加募集で選ばれた新人と玄関へ向かう。
北斗さんと流星さんは、玄関を開けて声をかけた東さんと、
深々と頭を下げてはっきりした口調で挨拶をする新人の声に、
パソコンの画面から視線を外し、入口の二人に目を向けた。
その男性の姿を見た途端、北斗さんは目を見開いて驚愕したのだ。
東 「七星、流星。新人を連れてきたぞ!」
男性「今日からお世話になります!」
流星「おお!よろしく」
東 「彼は北斗流星カメラマン。
奥にいるのは、知ってるんだったな」
男性「はい!北斗七星さん、お久しぶりです」
七星「君!何故、ここに居る」
流星「え?兄貴、この人を知ってるのか?」
七星「……」
鋭い眼光で北斗さんを直視し、堂々と胸を張り挨拶をする男性。
そして胸を鋭い矢で貫かれるような衝撃を受け、
吃驚仰天の北斗さん。
彼のハッと息を引き切る表情に、
東さん、流星さん両人も疑問を感じたのだ。
またも、何かを抱えていそうな新人の登場は、
静かな水面に起きる波紋のように、
狼狽と憂慮を広げていったのだった。
(続く)
この物語はフィクションです。
(カメラ撮影用語)
*1 ポートレート…人物をテーマの中心に置いた写真のこと。
但し、人物の全身を写している必要はなく、
顔や身体の一部だけや後ろ向きで顔が隠れているものも、
人がテーマの中心であればこれに分類する。
*2 レリーズ…カメラのシャッターの開閉を遠隔で操作する器具。
*3 ブロアー…ゴム球の先に細い管がついたもので、
レンズ表面やカメラ内部のごみ、
ほこりを吹き飛ばして除去する道具。