ポラリスの贈りもの
その日の午後4時。
カレンさんと水野さんは、
夕方無事に宿泊先であるペンションに帰ってきた。
撮影報告の為に、BチームとCチームのメンバーは、
既に全員、一階のリビングに集まっており、
リビングではそれぞれが今日の出来事について話しざわついている。
そこへ事故の原因を聞くため、
二人の許へ行っていた東さんが別荘に戻ってきた。
皆は急にしゃべるのを止めて東さんに注目する。
東さんは帰ってくるなり、大きなため息をついてソファーに腰かけ、
一時黙ったまま目を瞑り、じっと考え込んでいたけれど、
眉間を押さえながら一点を見つめて、ゆっくりと口を開いた。
東 「カレンと水野は何事もなく、無事に帰ってきた」
東さんの報告に「おーっ」という声を漏らして安堵の顔を浮かべ、
よかったよかったと、皆ざわざわと話しだす。
東 「誰か説明してくれ。
何故、渡した指示書と違ったスケジュールになってるんだ。
今日の撮影は浅い水域のはずだっただろ。
何故、30mも潜ってる!」
いつもは穏やかな東さんの怒鳴る声が響くと、
全員が水を打ったようにしーんとなる。
そしてみんな下を向き、誰一人として発言する者はいない。
北斗さんと流星さんは、リビングの壁に凭れて全体を見回し、
浮城さんと田所くんは二階に上がる階段に腰かけて、
氷きった報告会の風景を深刻な顔で見つめている。
そして、来たばかりでこの騒動に巻き込まれた風馬は耳だけで参加し、
キッチンで皆の食事の下ごしらえを手伝っていた。
流星「Bチームは何時にエントリーを開始した?香田」
香田「ご、午前8時です」
東 「今日の撮影開始は9時半のはずだ。
いったい何分潜ってたんだ!
しかも、カレンのタンクの残量が0ってどういうことだ。
ゲージ(タンクのエアー残量計)は絶えず確認しろと言っただろ」
七星「僕らが確認したら水野さんのタンクも残圧は5だった。
満タンで潜らせてるのに、
何故二人のタンクの残量だけが著しくないんだ?」
佐伯「水深25mぐらいから浅瀬に移動しようとしたんですが、
逆流でなかなか進まなくて、
残圧はあっという間に100をきってしまって。
その時にパニック状態となっているカレンを見つけたんです」
東 「はーっ!鍋さん。他に知ってることがあったら教えてほしい」
鍋島「潜ってすぐに、透明度が悪いと連絡が入ってきた。
水深5mまで視界がほぼ0mだと言ってきたもんで、
それで東さんの指示を待つように、陸で待機しろって指示したんだが、
下は視界良好ってことで、もっと潜ぐって、
洞窟ダイビングで動画撮影に切り替えると報告があったもんでな」
流星「どうしてそんな無茶を。何故誰も止めなかったんだ?」
佐伯「俺の判断が甘かったんだ」
東 「佐伯だけのせいじゃない。今回のことは全体責任だ。
潜りの経験も豊富で、撮影のプロがこれだけ勢ぞろいしてて、
こんなケアレスミスをするなんてな」
根岸「それだけじゃないんです。
撮影中にいきなり、
カレンさんと水野さんの持っていたメインカメラが、
二台ともエラーで停止したんですよ。
しかも浮上する時には、
カレンさんが残圧がかなり残り少なくなっていたらしく、
ひどく慌ててしまってパニックをおこして。
俺と佐伯さんはすぐ後ろにいてサブカメラで撮影していたんで、
二人の異常にすぐ気がつきました。
俺たちもあまりエアー残量はなかったんですが、
オクトパスを二人に銜えさせて浮上したんです」
香田「アンカーローブの下にいた酒枝さんと、
佐伯さんたちのサポートに入って、
二人をボートに引き上げてから蘇生を……」
東 「ちょっと待ってくれ。
メインカメラが二台ともエラーってどういうことだ」
香田「カメラ自体がズームアップにロックしたままで、
手を離すと最大ズームまでいってしまうのでどうにもならなくて。
しかも二台とも電源も切れないんです」
香田さんからカメラを渡された東さんと北斗さんは、
今までにない症状に首をかしげながらカメラの状態を確認している。
東 「本体のズームスイッチは活きてるな」
七星「こっちも同じだ。引きのズームはだめだな。
ボタンから離すとすぐ最大ズームまで飛んでしまう」
流星「どうして違うメーカーのカメラを使ってるのに、
同じ症状で停止するんだ。
しかも、昨日までは撮影できてただろう。
俺は合点がいかないぞ」
東 「七星、バッテリーを外して電源オフにして切ってくれるか」
七星「ああ」
スタッフA「(小声)もしかして、これっておせんさんのたたりとか」
スタッフB「(小声)ここ有名だし、事故も多発してるって聞いたしね」
流星「おい!そこ。仲間が死にかけたんだぞ。
そういう無責任な発言はやめないか」
スタッフA・B「す、すみません」
東 「はーっ。
カメラの予備はまだあるから撮影に支障はないが……
とにかく、今後から勝手な行動は絶対に許さない。
二度とこんなことがないよう、
僕の指示書通りに撮影を行ってもらう。
みんな、分かったな!」
全員「はい」
東 「今日はこれで終わる。解散だ!」
その日の夜は昨夜と打って変わって静かだった。
食事の最中もBチーム、Cチームともに、
すべての責任が自分たちにあるかのように畏まっている。
カレーライスを頬張る北斗さんたちも、
なんだか胸に無言の圧力を加えられているような心持だ。
風馬は奥のダイニングで、
じっと北斗さんだけを見つめながら食事をしていたが、
食べ終わるとさっさと自分の食器を洗い片付けた。
そして、北斗さんが食べ終わるのを見て、
リビングに座って食事をしているみんなの許へゆっくりと近付いた。
風馬「七星さん、ちょっといいですか。
話があるんで外まで一緒にきてください」
流星「ん?何なんだ?」
七星「ああ。
すまん、流星。後頼む」
流星「あ、ああ」
浮城「まさか。今日二つ目の事件ってことにならないよな」
風馬は駐車場に面する庭まで歩く。
そして風馬の後を追うように外へ出てきた北斗さんに向かって、
忌々しそうに刺のある口調で切り出した。
風馬「七星さん。
俺、どうしても貴方に話があってここに来ました」
七星「なんだ、話って」
風馬「なんだって、決まってるでしょう。
星光のことですよ。
あんた、星光に仕事も住まいも面倒見るって言って、
あいつを福岡から東京に呼んだんですよね」
七星「ああ。そう言ったがそれに偽りはない」
風馬「それっていつですか。
いつになったらあいつの落ち着く場所になってやるつもりですか」
七星「……」
風馬「あんた、星光のことをどう思ってるんですか!」
七星「なぁ。星光ちゃんのことを僕がどう思ってるか、
いつどうするかなんて、君にいちいち言わなきゃいけないか?」
風馬「ええ。話してください。
あいつ、社員食堂で俺に言ったんですよ。
『今日。公園で風馬と別れた後、北斗さんがここに来たの!
彼とゆっくり話ができて事実も聞けたわ。
私、今度こそ彼のところに行く!』って。
幸せそうに目をキラキラ輝かせて、
俺をフッて今度こそあんたのところに行くって言ったんだ!」
北斗さんを心配した流星さんが別荘からでてきた。
彼は二人の姿を見つけて近づこうとしたが、
風馬の怒鳴る声で立ち止まる。
流星「兄貴……」
風馬「この20年、ずっとあいつを見守って大切に想ってきたんだ。
それをあんたに託して、俺は福岡に帰ろうとしてたのに。
なのに、あんた何やってるんだ!
これがどういうことか、俺に納得のいくように説明しろよ!」
北斗さんは胸に投げつけられて落ちた雑誌を拾って、
折れ曲がったページを見開いた。
その記事の見出しと載せられている写真を見た途端、
ガツンと頭を殴られたようなショックを受け、
息を呑んだまま言葉を失う。
七星「これは。
(何だ、この記事は。この写真!もしかして)」
風馬「星光を騙してんのか。
それとも遊んでるだけか!
なぁ、どうなんだ!おい、何とか言えよ!」
流星「おい、塩田!お前、なにやってるんだ!」
流星さんは北斗さんの持ってる雑誌を取り、同じように見開いた。
そこには北斗さんとカレンさんのゴシップ記事が載っていて、
隠し撮りされた北斗さんとカレンさんの写真が数枚写っている。
流星「『多くの女性をメロメロにしてきた有名写真家、北斗七星。
美しい肉体美で知られる女性写真家、摩護月カレンと結婚秒読み!
関係者が5年前のクレーン事故の真実と胸中を本誌に語る』だって!?
なんだこれ!」
風馬「俺が聞いてるんだ。
おい、何とか答えろよ!」
七星「僕はまったく知らない!」
風馬「ここに載ってるのはお前と女の写真だ!
知らんはずなかろうが、きさん(貴様)!」
掴み合っている三人の後ろから声がした。
それは……
神道「おい、お前たち!
こんなところで何を揉めてるんだ」
神道社長の声に驚いた北斗さんと流星さん、
風馬の三人は、掴み合いをやめて乱れた服を整え挨拶をした。
しかし、神道社長の後ろにいた人物を見て、
北斗さんと風馬は同時にびっくりして目を見開き、
ぎょっとした顔でその人物を直視している。
神道「ああ。そうだったな。
今日からここで食事を作ってもらう調理人の濱生星光さんだ」
七星「き、星光ちゃん」
星光「北斗さん……えっ!風馬!?」
風馬「なんで、星光がここにいるんだ」
ずっと恋い焦がれ、やっと北斗さんに会えた私だったが、
そこに居るはずのない風馬の姿をみつけて心底動揺する。
そして、驚きの表情で私を見つめる北斗さんに対してもそうだ。
彼から断られたオファーであるにも関わらず、
振り切ってここに来た背景もあったからだろうか。
申し訳ない気持ちと逢えた喜びが混ざり合って、
心は波立ち騒いで落ち着かない。
現場を震撼させたカレンさんの事故、意表をつく風馬との邂逅、
そして、すっぱ抜かれた北斗さんのスクープ写真。
様々な出来事と複雑な思いがスーパーストームのように勝浦を襲い、
戸惑う私も否応なくその渦中に巻き込まれていくのだった。
(続く)
この物語はフィクションです。