イノセント
「和也。ちょっといいか。」

仕事帰りで重たい手を無理やり動かして玄関の鍵を閉めようとしていると、兄がいつものように、おかえり、と言うのではなくそう言ってきた。

少し疑問を抱きながらもいつものようにふ、と振り返ると。

「…」

玄関先には見慣れない女物の靴。

父と兄と俺しか住んでいないこの広すぎる家にはあまりに馴染まない白色のパンプスがあった。

…なんだ、女か。

こっちは仕事で疲れてるっていうのに呑気なものだな。

というか。

いつの間に女なんて作ったんだ。

自慢じゃないけど、うちの親父が経営している会社はなかなか大きく、そしてありがたいことに大変忙しく、そこに就職せざるをえなかった俺と兄はどちらも比べようがないくらい毎日が忙しい。

はっきり言って女なんて構う暇がない。

それに。

…そんな影、一切見せなかったのに。

でもまぁ、昔からその持ち前の優しさでモテてきたしな。

受付嬢の、名前はなんだったか定かではないがその女か?

それとも、同じ部署の…

そんなことを考えながら、疲れてるから早めに済ましてくれる、とだけ言いながら靴を脱ぐ。

そうすると、兄は少し安心したように笑いながら
「よかった。仕事が忙しいのにごめんな。」
と言った。

そして続けられた、靴を脱ぎ終わったらリビングにきてくれるか、の言葉に相変わらず視線は靴に注いだまま、わかった、とだけ呟いた。


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