いじめのある教室
「そんなひどいことされてるわけじゃないし。ドラマみたいないじめだったら、ヤバいけど。それに高橋さんも別に文句とか言わないで黙っていじめられてて、あれじゃいくら第三者が入ってったとこでダメだと思うんだよね。いじめってさあ、本人に立ち向かおうとか乗り越えようとか、そういう気持ちがない限り、周りはどうしようもできないもん」
「だね」
潮美が同意して、その隣で美織も頷いていた。
郁子の言葉はたしかに一面の真実を含んでいた。いじめられている状況を積極的に変えていこうとしない、そんな文乃の姿勢に問題がないわけじゃない。
でも、もしこれで、いじめられてるのが文乃じゃなかったら、みんなどうしただろう。
文乃だから、いじめられてもしょうがない。文乃だから、いじめられてもほうっておこう。みんなが嫌いで、今までもさんざんいじめられてきた文乃だから。
誰でも心の奥にはそういう考えがあって、それを正当化するための言葉を作り出しているだけなのかもしれない。
かくいうわたしもその一人だから、偉そうなことは言えないんだけど。
潮美が何か思い出した顔でわたしに焦点を合わせた。
「ね、そういえば希重って、昔高橋さんと仲良くなかった?」
え、と上ずった声が飛び出す。心臓がびくっと怯え、見開いた目でわたしを見る郁子と美織の視線に、背筋がぎりっと強張った。そんなわたしの内心なんて知らず潮美は続ける。
「ほら、うちと希重、同じ小学校だったじゃん? そん時は全然話したことなかったけど、たしか一・二年の時、一緒のクラスだったよねぇ。希重ってたしかいつも、高橋さんとくっついてたなあって」
「違うよ、別に仲良くなんか」
ムキになっていた。文乃と友だちだったことをみんなに知られたくない。文乃との関わりを恥とする気持ちが、そんな情けないわたしが、心の表面までせり上がっていた。
「ただ、そん時はたまたま同じマンションに住んでて、親同士も仲良くしてて。だから一緒に遊んでただけで」
「それ、仲いいって言うじゃん」
潮美が苦笑いした。情けないわたしを笑われてる気がして、胸の中心がかあっとほてる。
言葉を続けられないわたしの目に、今にも「きえちゃんきえちゃん」て呼びかけそうな暗い瞳が飛び込んでくる。潮美の肩越し、教室の後ろのドアのところに、文乃がいた。たった今、戻ってきたんだ。
今のわたしの声、聞かれてた……? 目が合ってたのはほんの一秒か二秒だと思うけれど、心臓の鼓動が急に駆け足になる。わたしは誰にも嫌な人だって思われたくないんだ。郁子にも潮美にも美織にも、文乃にも。
「高橋さん、ごめーん。今体操着、借りてたぁ」
文乃に気付いた周防さんがじゃれている男子たちを止め、体操着を持って文乃に近づいていく。楽しそうな声が教室の中にひりひりした空気を生んで、暗い興奮と緊張感に駆られながら、みんなが文乃に視線を集中させた。
周防さんから体操着を受け取った文乃は何か察したようで、すぐに巾着の口を開いた。ぐしょ濡れのハーフパンツが引っ張り出される。わぁー、と周防さんがわざとらしく言う。
「わぁー、高橋さんのハーパン、ひどっ。五時間目体育じゃん、どうするつもりぃ?」
周防さんは文乃に直接暴力を振るったり罵倒したり、絶対しない。いじめておいて、今みたいに優しく接するフリをする。そのほうがみんなを楽しませられるし、文乃を追い詰められるとわかってるんだ。
文乃は俯いて周防さんの横を通り過ぎ、濡れたハーフパンツ入りの巾着袋を胸に抱いたまま、音も立てずに席についた。息を呑んで周防さんと文乃を見つめていた三川さんや増岡くんたちが、肩透かしをくらったような顔をする。小松崎くんがつまらなそうに「なんだよ」と呟いた。無視された周防さんが悔しさにひきつった顔で文乃を睨みつけた。
わたしの位置からは文乃のずんぐり太った肩と、幼稚園の時から変わらない重たそうなボブヘアの後頭部しか見えなかった。文乃は震えてるわけでも背中を縮めてるわけでもなく、ただわたしたちに背を向けていた。
「だね」
潮美が同意して、その隣で美織も頷いていた。
郁子の言葉はたしかに一面の真実を含んでいた。いじめられている状況を積極的に変えていこうとしない、そんな文乃の姿勢に問題がないわけじゃない。
でも、もしこれで、いじめられてるのが文乃じゃなかったら、みんなどうしただろう。
文乃だから、いじめられてもしょうがない。文乃だから、いじめられてもほうっておこう。みんなが嫌いで、今までもさんざんいじめられてきた文乃だから。
誰でも心の奥にはそういう考えがあって、それを正当化するための言葉を作り出しているだけなのかもしれない。
かくいうわたしもその一人だから、偉そうなことは言えないんだけど。
潮美が何か思い出した顔でわたしに焦点を合わせた。
「ね、そういえば希重って、昔高橋さんと仲良くなかった?」
え、と上ずった声が飛び出す。心臓がびくっと怯え、見開いた目でわたしを見る郁子と美織の視線に、背筋がぎりっと強張った。そんなわたしの内心なんて知らず潮美は続ける。
「ほら、うちと希重、同じ小学校だったじゃん? そん時は全然話したことなかったけど、たしか一・二年の時、一緒のクラスだったよねぇ。希重ってたしかいつも、高橋さんとくっついてたなあって」
「違うよ、別に仲良くなんか」
ムキになっていた。文乃と友だちだったことをみんなに知られたくない。文乃との関わりを恥とする気持ちが、そんな情けないわたしが、心の表面までせり上がっていた。
「ただ、そん時はたまたま同じマンションに住んでて、親同士も仲良くしてて。だから一緒に遊んでただけで」
「それ、仲いいって言うじゃん」
潮美が苦笑いした。情けないわたしを笑われてる気がして、胸の中心がかあっとほてる。
言葉を続けられないわたしの目に、今にも「きえちゃんきえちゃん」て呼びかけそうな暗い瞳が飛び込んでくる。潮美の肩越し、教室の後ろのドアのところに、文乃がいた。たった今、戻ってきたんだ。
今のわたしの声、聞かれてた……? 目が合ってたのはほんの一秒か二秒だと思うけれど、心臓の鼓動が急に駆け足になる。わたしは誰にも嫌な人だって思われたくないんだ。郁子にも潮美にも美織にも、文乃にも。
「高橋さん、ごめーん。今体操着、借りてたぁ」
文乃に気付いた周防さんがじゃれている男子たちを止め、体操着を持って文乃に近づいていく。楽しそうな声が教室の中にひりひりした空気を生んで、暗い興奮と緊張感に駆られながら、みんなが文乃に視線を集中させた。
周防さんから体操着を受け取った文乃は何か察したようで、すぐに巾着の口を開いた。ぐしょ濡れのハーフパンツが引っ張り出される。わぁー、と周防さんがわざとらしく言う。
「わぁー、高橋さんのハーパン、ひどっ。五時間目体育じゃん、どうするつもりぃ?」
周防さんは文乃に直接暴力を振るったり罵倒したり、絶対しない。いじめておいて、今みたいに優しく接するフリをする。そのほうがみんなを楽しませられるし、文乃を追い詰められるとわかってるんだ。
文乃は俯いて周防さんの横を通り過ぎ、濡れたハーフパンツ入りの巾着袋を胸に抱いたまま、音も立てずに席についた。息を呑んで周防さんと文乃を見つめていた三川さんや増岡くんたちが、肩透かしをくらったような顔をする。小松崎くんがつまらなそうに「なんだよ」と呟いた。無視された周防さんが悔しさにひきつった顔で文乃を睨みつけた。
わたしの位置からは文乃のずんぐり太った肩と、幼稚園の時から変わらない重たそうなボブヘアの後頭部しか見えなかった。文乃は震えてるわけでも背中を縮めてるわけでもなく、ただわたしたちに背を向けていた。