また、部屋に誰かがいた
無事に工事が終わり、その部屋に介護用ベッドが運び込まれ、設置が完了してから佐和子はデイサービス施設へ母を迎えに行った。二人が帰宅したときには日も沈みかけていて、
ようやく落ち着いた頃には、すっかり夜になっていた。

いま部屋の窓側に置かれたベッドの上で食事と排泄を済ませた母は眠っている。
もはや自力では起き上がることもできず、すでに意識もあるのか、ないのかわからないような状態の母を見ていると佐和子は涙が止まらなかった。
起きているときも、目は常にうつろで焦点が定まっていない。佐和子が食事を口元に運ぶと、かろうじて食べたが、「美味しい」なんて言葉を発するどころか、声すら出さない。表情も死んでしまったように変わることはなかった。
「もう、母と会話をしたり、笑いあったりすることはないのだ」と考えると、
「もっと早く実家に帰ってくれば良かった」と佐和子は後悔した。そのとき、

「がたっ!」

隣の部屋で音がした。
こげ茶色の柱に挟まれ、吹き付けた壁材がところどころ剥がれ落ちて灰色になってしまっている隣の部屋との仕切り。
柱と同じくこげ茶色に変色した棚の上には銀色の薬箱が置かれている、その向こう。
いま彼女と母親がいる部屋の隣には、同じく6畳程度の広さの和室がある。
思わず息を飲んだ佐和子の耳には、静けさのなかで隣のダイニングキッチンに置かれた冷蔵庫のブーンという音だけが聞こえる。
ふと時計を見ると時刻は既に深夜の2時になっていた。
「何か物が落ちたのかな」そう考えて隣の部屋を確認しようかとも考えたが、時間も遅かったし、その日、いろいろと忙しい一日を終えた佐和子は、母親が眠る部屋の電灯を消すと、二階の自室に上がって、すぐに眠りに落ちてしまった。

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