一寸の喪女にも五分の愛嬌を
 焦りをみせながら成瀬は私の手を引っ張って走る。

「薫さん、ヤバいって。あの人は本気だから」

「あんなの冗談に決まってるでしょ、真に受ける方がどうかしているわ」

「いいや、冗談を言う人じゃないんだから。それは俺がよく知っている」

 エレベーター前に来て、ようやく成瀬は私の手を放す。

 むりやり引っ張られたせいで少しだけ手首が痛んだ。

「怜司さんは有言実行の人なんだ。あの目は本気だった。ああ、もう最悪、どうしよう」

 額に手を当てて嘆き節を披露する成瀬が言っているのは、先ほど有馬取締役に言われたこと。


 ――やはりどう考えても柴崎さんは私の妻にふさわしいと思われます。


 真顔でそう告げた後、一緒に呼び出しを受け隣に座っていた成瀬に向かって、「そういうことだから春人はこの件からはもう手を引くように」と淡々と冷たい声で言った。

 冗談じゃない、俺の彼女だ、手を引くわけがないと主張する成瀬に動じることもなく、有馬取締役は勝手にスケジュールを説明していく。

「まずは私の仕事が一段落するのを見計らって式の日取りを決めます。それから互いの家に挨拶に行きますが、これは問題ないでしょう。それから招待客についてですが――」

 唖然として言葉を失っている私の手をおもむろにつかむや成瀬は立ち上がり叫んだ。
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