心外だな-だって世界はこんなにも-
病院の敷地内には、中庭が設けられている。この中庭、病室の窓からも見える。なかなか風情があって、広い。新宿御苑公園の一画を彷彿とさせるものがあった。
その真ん中に、この広場の象徴とでも言うかのように、大きなクスノキが立っていて、木陰には二人掛けのベンチがある。いつもは大抵、おじいさん、おばあさんが腰を下ろしているのだが、今日はまだ誰も座っていなかった。
俺は、そのベンチに腰を下ろした。実は少し座ってみたかった。夏が終わり、秋の訪れを感じさせる木陰で優雅に本を読む。最高のシチュエーションで、さっきまでのイライラが浄化されていくような気がした。コーヒーでもあればいいのだが、生憎、今は絶食中でそれはできない。
俺は5日前、この病院にやってきた。というか、連れて来られた。
病気での入院。
医者の話では、大腸に炎症を起こしていて、それに伴って腹痛を生じるのだと言う。すぐに命を脅かすようなものでなければ、手術も今は必要がない。しかし、厄介なことに、この病気は完治しないのだという。この病気の原因は未だに判明しておらず、特定疾患、俗に言う難病にも指定されている。
つまり、俺はこの病気と一生付き合っていくしかないのだ。
まったく、将来のことを考えなければならない大事な時期に、めんどくさいことになってしまった。やりたいことじゃなくて、この病気でもできる仕事は何か。そのことを前提として、将来を考えなければいけない。
俺が悪いんでも、母さんが悪いんでも、もちろん医者が悪いんでもない。だから、尚のことタチが悪い。誰かにこのやりきれない思いをぶつけることもできなければ、この病気になったことを後悔することもできない。そして、このやりきれない思いは、どんどん溜まっていき、ストレスに転換される。そのストレスが許容範囲を越えて、俺の不機嫌に繋がるのだ。
そのことを母さんはわかってくれない。理解しようともしてくれない。
ちょっとテレビ番組の録画を頼むだけでも、「あー、ダメダメ。母さんそういうのわからないから。」と言って、説明を聞こうともしない。
あの年代の人は、きっと時代のせいか、人の話を聞こうとしない。自分の都合のいいように過ごしてきたんじゃないかと思う。