心外だな-だって世界はこんなにも-
「まあ、いいや。美紀ちゃんは美紀ちゃんのペースがあるんだろうし、納得いくまで書けばいいよ。それで身体壊しても、お兄ちゃんが看病してやるからさ。ね? だから安心して____」
「いいから、もう出て行って!」
私は兄貴の背中をグイグイ押して、部屋から追い出した。そんなこと言われなくてもわかってる。でも、書けないものは書けない。
小説を書き上げたことがない。ろくに最後まで読んだこともないのだ。そんな私が小説を書き上げる想像がどうしてもできなかった。
就職活動中に、ある社長さんから言われた一言がある。
「キミは総理大臣になりたいと思うか?」
私は当然、「ない。」と答えた。すると社長さんは、ニヤリと笑みを浮かべて、
「だからキミは総理大臣にはなれない。つまり、なりたいものがあるときは、なりたいと思えないとなれないのだ。」と言った。
その言葉が喉に刺さった魚の骨のように、私の胸にある。
私の小説が本になれば、誰かが手に取る。汗水流して稼いだお金でそれを買う。読む。その読んでいる時間は、その人の一生で一度しか訪れない時間だ。
その貴重な時間を、私の小説なんかに費やさせてしまうことが、怖かった。まるで、その人の人生を踏みにじっているような気持ちがして、怖くて、不安で、書けなかった。
まだ、小説を書いたこともないくせに、自分でもおかしいとは思う。でも、やっぱり完成させることが怖かった。
でも、書きたい。
だから席に着く。そして、原稿用紙を前に、肘をついて、目を閉じてモチベーションを奮い立たせる。
でも、すぐに集中力は切れた。傍にあった湯気の立つ、美味しそうな中華丼が私を誘惑する。でも、ダメだ。まだ食べちゃダメ。これはまだ食べちゃいけない。
私はまだまだ頑張っていない。世の中にはこうしている今も必死に夢に向かって努力している人がいる。
そして、その夢に向かって努力することさえも許されなかった人もいた。
そう思うと、どうもこの中華丼に手を付けることができなかった。私には夢がある。夢に向かって頑張ることが出来る。生きている。
それなのに、何の苦労もしないでご飯を食べるなんて、贅沢だ。贅沢過ぎる。
「……もうちょっと頑張ってみようかな。」
そう呟いて、私はペンを走らせた。初めはスラスラ書ける。
書き出しは____もうずっと変わらないままだ。
これで一体、何度目のスタートになるのだろう。