ポプリ
 朝からよく晴れた小春日和。

 橘拓斗は日課となっている妻との散歩に出かけた後、花の咲き乱れる庭園の隅に置かれた白いベンチに妻を座らせ、ヴァイオリンを肩に乗せた。

 散歩の後の演奏。

 これもまた日課だった。

 肌を撫でる空気の冷たさをものともせず、節くれだった指が滑らかに弦を滑る。真っ直ぐで伸びやか。そして若い頃よりもずっと深みを増した音が、薄い青空に溶けてゆく。


 と、足音が近づいてきた。

 のんびりとした足音だ。

 拓斗は演奏を止めてそちらを見やった。

「これから学校かい、龍一郎」

 鋭い目つきの短ランを着た黒髪の少年は、拓斗の孫だった。そして、“彼”の孫でもあった。

「おー、じいちゃん、おはよ。相変わらずうまいな、ヴァイオリン」

「ありがとう」

「龍一郎くん、もう遅刻ギリギリの時間じゃないんですか? 蒲公英ちゃんも龍乃ちゃんも、もう随分前に行ったようですよ」

 妻のペインが苦笑交じりに声をかけた。龍一郎は不遜な笑みを浮かべた。

「余裕だよ、ばあちゃん」

 心配すんな、と浮かべた笑みが、彼にそっくりだった。

 拓斗は目を細める。


『龍一郎は父ちゃんの生まれ変わりなんだよ』


 そう言ったのは嫁の龍乃だった。拓斗もそう思う。年々彼に似てくる孫を見るたび、昔を思い出して胸の奥が熱くなる。それはペインも同じなのか、ふと目が合うと二人して穏やかな目をしているものだから、思わず笑みが零れる。

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