ポプリ
 確かに、これは逃げないと駄目だろう。麗龍一人の手には負えない。けれど、だからと言って。

「……お前、どうすんの。戦えんの?」

「……逃げます。逃げ切ります」

「屋根の上もまともに走れないヤツが」

「ううっ……で、でも、麗龍くんを危ない目に遭わせられません……」

 麗龍の腕を引っ張るユリアの手は小刻みに震えていた。怖いくせに、頼りたいくせに、逃げろというそのいじらしさに、麗龍は大きく息を吸い込んだ。

 自分よりも弱いものを置き去りにして、一人で逃げられるものか。

 そんなことをしたら、一生、自分を赦せなくなる。

 麗龍はゆっくりと息を吐き出し、震えるユリアの手を握りしめた。

「守ってやる。俺から離れるな」

 ビリビリと肌を突き刺す邪悪な気配は、鳥居の向こうからやってくる。漂ってくる禍々しい気配を睨み付けながら、人差し指を持ち上げた。

「こういうの、得意じゃねぇんだよ」

 そんな文句を吐きつつ、呼吸を整える。

 いち、にい、さん、いち、にい、さん。

 リズムを刻みながら、リディルに教わったことを思い出す。



「精霊を召喚するには、ワルツのリズムがいいかな」

 と、麗龍の手を取り、くるくると踊りながら教えてくれた。

「召喚術を発動させるのに必要なことは、大きく分けてみっつ。召喚したい精霊を喚んで、その精霊にして欲しいことを伝えて、その対価に必要な魔力を与えること。……麗龍は、この最後の部分が上手く出来ないんだね」

 魔力は与えすぎても駄目、もちろん、足りなくても駄目。

 自分がこの世界に顕したい事象を正確に出現させるために、微細な魔力コントロールが必要なのだ。

 それを補助するのが魔法陣や呪文詠唱なのだが、無詠唱でやるにはこのみっつを同時に、しかも正確に行う必要がある。

「余計な力は必要ない。にゃんにゃん先生に習ってる拳法でも、そうでしょ?」

 そうだ。余計な力はかえって空回りしてしまう。

「深呼吸して、イメージするの。精霊と気持ちをひとつにするんだよ」



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