ポプリ
 いち、にい、さん。

 いち、にい、さん。

 ゆったりと深呼吸をしながら、空間を割ってやってきた黒いスーツの男を見据える。

 その男の姿を見たとき、麗龍の心臓がどくりと重い音を立てた。

 肩口くらいまであるサラリとした髪。ノーネクタイのラフなスーツ姿。どちらかと言えば細身のその男の顔に、見覚えがあった。

「黒爪」

 思わずユリアの手を握る手に力を込めてしまった。

 まさか。いるはずがない。彼は鴉丸禿鷲に倒されているはずだ。

 それとも禿鷲が嘘をついていたのか。……そういえば黒爪が消えたところを誰も見ていない。まさか。

「麗龍くん」

 ユリアがもう片方の手も麗龍の手に重ねた。

「あれは、違います。きっと、麗龍くんの知っている人ではありません。あれは、そういう術を使うのです。一番恐怖心を与えた者の姿をとるんです。そうやって心の隙を突くんです」

 そう言うユリアの手も震えていた。彼女には別の何かが見えているのだろうか。

「恐怖心……」

 確かにそうかもしれない。

 強さでいったら禿鷲の方が数倍も上だ。けれども黒爪と初めて対面したとき、シオン一味の誰も彼には敵わなかった。

 精神的にもかなり大きなダメージを負わされた相手だ。恐怖心というのなら、彼に対して一番抱いている気持ちかもしれない。仲間たち全員を失うところだったのだから。

「……そうか」

 知らなければ精神的に追い込まれただろうが、ユリアの助言によって少し落ち着けた。魔力の流れも安定している。

「よし。ユリア、喋るなよ。じっとしてろ、大丈夫だから」

「は、はい……」

 ユリアは言われた通りに大人しくするものの、強大な敵を前に何もしない麗龍に戸惑った。彼の腕にしがみつくのは、恐怖心からの無意識の行動だ。

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