ポプリ
 不動産経営がウチの稼業だけれど、何故か音楽家が多い我が家。

 その中で、音楽をやらない兄は珍しい存在だった。そのことに今、気付いた。目の前でピアノと向かい合っている兄の姿に違和感を覚えたことで。

 何か曲を弾くつもりなのだろうか。

 ボクはわくわくしながら、そっとリビングの入り口に佇んでいた。

 兄の細くて長い指が、鍵盤に乗せられる。

 流れるように紡がれたのは、ドビュッシーの『アラベスク第一番』。兄のイメージそのままの、優しくて穏やかな旋律だ。

 ひとつひとつの音がとても綺麗だった。

 ゆったりとした曲想の中にしっかりと強弱と揺らぎがつけられていて、その波に夢の中へと誘われているかのようだ。

 ああ、素敵だ。

 こんなに上手に弾けるなんて知らなかった。

 ボクはとても感動して、拍手をしようとしたのだけれど。アラベスクが途切れて、急にリストの『死の舞踏』が始まった。

 グレゴリオ聖歌の『ディエス・イレ(怒りの日)』の主題によるパラフレーズ。

 先程の優しい旋律とは打って変わった、重々しい低音が腹の底にどっしりと響いてくる。

 恐怖を煽るかのような激しさと不気味さが襲い掛かってくるけれど、そこを抜けると、鮮やかに輝きだす聖堂の静けさと荘厳な景色が見えてくる。朽ちた聖堂にひっそりと佇む神像の眼差し、それはまるで、滅びゆく者へ捧げるレクイエム。

 穏やかな弔いの歌が終わると、緊張感と疾走感溢れるラストへと繋がっていく。

 随所に散りばめられた超絶技巧を追いかける指に迷いはなく、リビングの入り口で佇んでいたボクの身体を執拗に嬲っていった。

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