恋の相手は王子様(あなた)じゃ困る!
仮面舞踏会のはじまりっ!
「それでは皆様、真夜中の十二時まで、仮面舞踏会をお楽しみ下さいませ」
白髭の大臣がため息交じりに挨拶をすると、それを合図に楽団はアップテンポな演奏を開始した。同時に、広間はざわめきに包まれ、あちこちに華やかなドレスの花が咲く。
一夜の恋の相手を探すためにレリアが思いついたのは、参加者全員が素性を隠すための仮面をつけた、仮面舞踏会だった。
(だって、これならあたしが王女だってことも、バレっこないものね)
レリアは仮面の下でにこりと笑った。
王女という肩書きは、恋において邪魔なだけだ。今夜のレリアは、名もなき少女。政略結婚などではない、淡い恋を楽しむのだ。彼女はドレスをつまんで、人波を縫うように歩いた。
王女として、舞踏会には何度も出席したことはあったが、こんなふうに人々に紛れるのは初めての経験だった。物珍しげにキョロキョロしながら顔を上げると、大広間を見渡すことのできる玉座で浮かない顔をしたグランツ国王が目に入った。いつのならば、その隣にレリアも座っている高台だ。
そこでは外国の大使や来賓からダンスの誘いを受けることはあっても、年の近い若者からの誘いを受けることはほとんどなかった。
(あんなところにいたんじゃ、それも当然ね)
広間からは、天上のように高い場所にいる父王を見上げて、レリアは肩をすくめる。と、そのとき突然耳に飛び込んできた会話に、彼女はどきりとして振り向いた。
「おい、今夜はこの中にレリア姫がいらっしゃるんだろ?」
「らしいな」
「らしいな、って……お前、姫様と踊る大チャンスだぞ。うまくいけば、王家に婿入りできるってもんだ」
すでに酒が入っているのか、赤ら顔の若者が大声で笑う。その隣で友人らしき男が呆れたように答える。
「レリア様はご結婚が決まってるだろ? それに、もしいらっしゃったって、お前みたいに酒臭い男を相手にしてくれるわけがないだろ」
「いや、仮面をしても俺の男っぷりは隠せないさ。なあ、そこのお嬢ちゃん。さっきからこっちを見つめてるけど、そんなに俺が気に入ったかい?」
「あ、あたし?」
声をかけられてレリアは驚いた。けれどそこは取り澄まして答える。
「悪いけど、あたしはあなたを見つめてなんかいないし、レリア姫もあなたのような酔っ払いは嫌いだと思うわ」
「ははっ、こりゃ辛辣だ」
レリアの答えに、周りからどっと笑いが起こる。彼女も笑いながらその場を離れた。何だかとても爽快な気分だった。顔の半分を隠しただけで、誰もレリアが王女だと気づく者はいない。
それはきっと地味なドレスに、シンプルな仮面をつけるという作戦も功を奏しているのだろう。
(他の人たちはここぞとばかりに着飾っているものね)
考えてみれば、素性を隠すことのできる仮面舞踏会は、女性たちにとって少しでも身分の高い殿方と出会うチャンスであるに違いない。何とかその幸運をつかもうと必死な者もいるだろう。
(もちろん、身分が高ければいいってものじゃないことは、あたしが一番よく知ってるんだけど)
レリアは小さく肩をすくめた。
彼女の婚約者は、いわずもがな、身分だけを考えれば申し分ない男性だ。なんたって、夫となるその人――シリル・フランソワ・ド・ジャルジェは、エルガ王の四番目の息子であり、誰もが結婚相手にと望む王子様なのだ。
(でも、あんなやつ……)
レリアは思い浮かべた王子の姿に、べーと舌を出した。エルガ王国は遠く、彼女はまだ王子に直接会ったことはない。けれど、それぞれの父王が二人の婚約を取り決めた年から毎年、レリアの元にはシリルの肖像画が届くようになっていた。だから、彼女は王子の顔をよく知っているのだ。
黄金の髪に輝く瞳。その容姿は男性でありながら「美しい」という形容がぴったりで、口元には優しそうな微笑みが浮かんでいる。しかし、それでいて彼は男性らしく、広い肩幅にたくましい体つきをしているのだから文句のつけようもない。
こんな素敵な人と結婚できるなんて――初め、彼女は嬉しさでくるくると部屋を踊り回った。そして、物言わぬ肖像画相手におしゃべりをした。
エルガ王国は一体どんなところなのか、どんな暮らしが待っているのか、おいしいお菓子なんかはあるんだろうか、そのお菓子に合うおいしいお茶は? それから――彼はグランツ王国のおてんば王女を、生涯、愛してくれるつもりはあるのか、なんてことも。
けれど、肖像画は彼女の問いに答えてはくれない。レリアは王子に向けて手紙を書くことにした。
しかし待てど暮らせど、その返事はなかった。半年後、やっと使者が帰ってきたが、彼が持って来たのは返事ではなく、王子が姫の肖像画を欲しがっているとの伝言と、新しい一枚の絵だった。それも以前とは違うポーズで描かれた王子の肖像画だ。
(なっ……手紙の返事もせずに、また自分の肖像画を送ってくるなんて、どういうことなの?!)
レリアはむっとして――そのまま絵師に自らの肖像画を描かせた。それは彼女なりに発した王子への怒りのメッセージだった。
しかし気を利かせた絵師のせいで、できあがった絵の中の彼女は、にっこりと微笑んだものに変わっていた。
それを見て、レリアは急に悲しくなった。もし王子と結婚したら、どんなに怒っていてもどんなに悲しくても、彼女はこの絵のように常に笑っていなければいけないような気がしたのだ。
(でも、それが結婚ってものなのかしら……)
初めから二人の意志のない結婚だ。それも仕方ないのかもしれない――そう思って落ち込むレリアに追い打ちをかけるように、社交界の噂が流れてきた。それも、年頃になったシリル王子が、どんなに遊び人かというものばかりが。
これにはレリアも落ち込みを通り越して腹を立てた。
(いくら国のための結婚とはいえ、この人は誠実さの欠片もないのね!)
そうして肖像画を見ると、王子の理想的に見えた微笑みはいかにも軽薄そうで、レリアへの優しさなど髪の毛の先ほども持ち合わせていないように見えた。
(手紙の返事もくれずに、自分の肖像画ばっかり送ってきて! きっと、とんでもないナルシストに違いないわ!)
遊び人のナルシスト王子。レリアはそう結論づけて――以来、一度でいいから本当の恋に落ちてみたい、と切実に願うようになったのだった。
白髭の大臣がため息交じりに挨拶をすると、それを合図に楽団はアップテンポな演奏を開始した。同時に、広間はざわめきに包まれ、あちこちに華やかなドレスの花が咲く。
一夜の恋の相手を探すためにレリアが思いついたのは、参加者全員が素性を隠すための仮面をつけた、仮面舞踏会だった。
(だって、これならあたしが王女だってことも、バレっこないものね)
レリアは仮面の下でにこりと笑った。
王女という肩書きは、恋において邪魔なだけだ。今夜のレリアは、名もなき少女。政略結婚などではない、淡い恋を楽しむのだ。彼女はドレスをつまんで、人波を縫うように歩いた。
王女として、舞踏会には何度も出席したことはあったが、こんなふうに人々に紛れるのは初めての経験だった。物珍しげにキョロキョロしながら顔を上げると、大広間を見渡すことのできる玉座で浮かない顔をしたグランツ国王が目に入った。いつのならば、その隣にレリアも座っている高台だ。
そこでは外国の大使や来賓からダンスの誘いを受けることはあっても、年の近い若者からの誘いを受けることはほとんどなかった。
(あんなところにいたんじゃ、それも当然ね)
広間からは、天上のように高い場所にいる父王を見上げて、レリアは肩をすくめる。と、そのとき突然耳に飛び込んできた会話に、彼女はどきりとして振り向いた。
「おい、今夜はこの中にレリア姫がいらっしゃるんだろ?」
「らしいな」
「らしいな、って……お前、姫様と踊る大チャンスだぞ。うまくいけば、王家に婿入りできるってもんだ」
すでに酒が入っているのか、赤ら顔の若者が大声で笑う。その隣で友人らしき男が呆れたように答える。
「レリア様はご結婚が決まってるだろ? それに、もしいらっしゃったって、お前みたいに酒臭い男を相手にしてくれるわけがないだろ」
「いや、仮面をしても俺の男っぷりは隠せないさ。なあ、そこのお嬢ちゃん。さっきからこっちを見つめてるけど、そんなに俺が気に入ったかい?」
「あ、あたし?」
声をかけられてレリアは驚いた。けれどそこは取り澄まして答える。
「悪いけど、あたしはあなたを見つめてなんかいないし、レリア姫もあなたのような酔っ払いは嫌いだと思うわ」
「ははっ、こりゃ辛辣だ」
レリアの答えに、周りからどっと笑いが起こる。彼女も笑いながらその場を離れた。何だかとても爽快な気分だった。顔の半分を隠しただけで、誰もレリアが王女だと気づく者はいない。
それはきっと地味なドレスに、シンプルな仮面をつけるという作戦も功を奏しているのだろう。
(他の人たちはここぞとばかりに着飾っているものね)
考えてみれば、素性を隠すことのできる仮面舞踏会は、女性たちにとって少しでも身分の高い殿方と出会うチャンスであるに違いない。何とかその幸運をつかもうと必死な者もいるだろう。
(もちろん、身分が高ければいいってものじゃないことは、あたしが一番よく知ってるんだけど)
レリアは小さく肩をすくめた。
彼女の婚約者は、いわずもがな、身分だけを考えれば申し分ない男性だ。なんたって、夫となるその人――シリル・フランソワ・ド・ジャルジェは、エルガ王の四番目の息子であり、誰もが結婚相手にと望む王子様なのだ。
(でも、あんなやつ……)
レリアは思い浮かべた王子の姿に、べーと舌を出した。エルガ王国は遠く、彼女はまだ王子に直接会ったことはない。けれど、それぞれの父王が二人の婚約を取り決めた年から毎年、レリアの元にはシリルの肖像画が届くようになっていた。だから、彼女は王子の顔をよく知っているのだ。
黄金の髪に輝く瞳。その容姿は男性でありながら「美しい」という形容がぴったりで、口元には優しそうな微笑みが浮かんでいる。しかし、それでいて彼は男性らしく、広い肩幅にたくましい体つきをしているのだから文句のつけようもない。
こんな素敵な人と結婚できるなんて――初め、彼女は嬉しさでくるくると部屋を踊り回った。そして、物言わぬ肖像画相手におしゃべりをした。
エルガ王国は一体どんなところなのか、どんな暮らしが待っているのか、おいしいお菓子なんかはあるんだろうか、そのお菓子に合うおいしいお茶は? それから――彼はグランツ王国のおてんば王女を、生涯、愛してくれるつもりはあるのか、なんてことも。
けれど、肖像画は彼女の問いに答えてはくれない。レリアは王子に向けて手紙を書くことにした。
しかし待てど暮らせど、その返事はなかった。半年後、やっと使者が帰ってきたが、彼が持って来たのは返事ではなく、王子が姫の肖像画を欲しがっているとの伝言と、新しい一枚の絵だった。それも以前とは違うポーズで描かれた王子の肖像画だ。
(なっ……手紙の返事もせずに、また自分の肖像画を送ってくるなんて、どういうことなの?!)
レリアはむっとして――そのまま絵師に自らの肖像画を描かせた。それは彼女なりに発した王子への怒りのメッセージだった。
しかし気を利かせた絵師のせいで、できあがった絵の中の彼女は、にっこりと微笑んだものに変わっていた。
それを見て、レリアは急に悲しくなった。もし王子と結婚したら、どんなに怒っていてもどんなに悲しくても、彼女はこの絵のように常に笑っていなければいけないような気がしたのだ。
(でも、それが結婚ってものなのかしら……)
初めから二人の意志のない結婚だ。それも仕方ないのかもしれない――そう思って落ち込むレリアに追い打ちをかけるように、社交界の噂が流れてきた。それも、年頃になったシリル王子が、どんなに遊び人かというものばかりが。
これにはレリアも落ち込みを通り越して腹を立てた。
(いくら国のための結婚とはいえ、この人は誠実さの欠片もないのね!)
そうして肖像画を見ると、王子の理想的に見えた微笑みはいかにも軽薄そうで、レリアへの優しさなど髪の毛の先ほども持ち合わせていないように見えた。
(手紙の返事もくれずに、自分の肖像画ばっかり送ってきて! きっと、とんでもないナルシストに違いないわ!)
遊び人のナルシスト王子。レリアはそう結論づけて――以来、一度でいいから本当の恋に落ちてみたい、と切実に願うようになったのだった。