スワロウテイル
読んでいた文庫本からふと目を離して空を見上げると、灰色に濁った雲が低く垂れ込んでいた。頬を撫でる風は微かに雨の匂いがする。

‥‥そろそろ降り出してきそうだな。

みちるは読みかけのページにしおりを挟むと、そっと本を閉じた。

腰掛けていた石段から立ち上がって、パタパタとスカートをはたく。文庫本とペットボトルのお茶を学校指定のスクールバックにしまう。
お社の方に軽く一礼をしてから、歩き出す。

「今日も会えなかったな」

ただの迷信だってことはわかっている。
だけど、毎回もしかしたら‥‥とほんの少しの期待を抱いてしまう。その期待はもう何度打ち砕かれただろうか。


裏道の蝶。 この町に古くから伝わる言い伝え。裏道の蝶に出会った者は運命が大きく廻り出すのだと言われていた。


みちるは裏道の蝶に会ってみたかった。
裏道の蝶ならば、閉塞的で息苦しいこの町からみちるを連れ去っていってくれる。子供の頃からそんなふうに思い込んでいて、なにか嫌なことや辛いことがある度に神社に逃げこんだ。

意地っ張りで甘ったれな少女は、何時間でもあの石段に座りこんで動かなかったものだ。

『みちるっ。やっぱりここにいた!ほら、いつまでも拗ねてないで帰ろう』

そんな呼び声とともに、お社の影から息を切らせた少年が今にも顔を覗かせるような気がした。


修に手を引かれて渋々ながら家へと向かうとき、本当は少しほっとしていた。
自分を探して迎えに来てくれる存在がちゃんといることに安堵する気持ち。
この手はいつだって自分を暖かく迎えてくれるだろうという安心感。


だけど、いつからか修は迎えに来なくなった。
夕闇の中、ボロボロの鳥居を一人でくぐったあの時、世界にたった一人取り残されたような孤独感で心が潰れてしまいそうになった。


クラスメートにはクールだと言われたりするけど、自分は本質的にはあの頃となにも変わっていないのかもしれない。

甘ったれで、なにかに縋ってばかりいる。


みちるの泣きたいほどに憂鬱な心を映したかのように、空からはパラパラと細かい雨粒が落ちてきた。
雨はみちるの緩くカールのかかった柔らかい髪をしっとりと濡らす。
頬や首筋に髪の毛がまとわりつくのが不快で、みちるは足を速めた。

帰りたくないあの家に帰るために。
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