嘘は世界を軽くする
「それは神さまのお心次第や。誰にもわからん。……けんど、先祖のお世話もせんで願いを叶えてもらおうっちゅう輩は、けしからんがね」

 最後はこちらを笑わせようとでもするように、大げさに言う。空気を読んで、僕は「はは」と笑った。けれど、彼女は笑わなかった。

「それで、『参道』の話じゃけどね」

 こほん、仕切り直すようにオッサンは咳払いをした。

「ここは神さまに祈りを捧げて新しい自分に生まれ変わる場所と言ったじゃろ。新しい自分になるとはどういうことか。――いままでの自分を捨てるっちゅうことじゃ」

 それは「いままでの自分の死」じゃ、と重々しくうなずく。

「つまり、『参道』は『産道』。本殿はお母ちゃんの『子宮』みたいなもんじゃ。ここへお参りに来る人は、みんな『子宮』に戻るため『産道』を通り、神さまの前で生まれ変わって再び『産道』を下り、新たな姿となって世界へ生まれる。そんな意味が『参道』には込められてるんだけぇね」

 君らはまた今日も生まれ変わるっちゅうわけじゃ、そう言って、おっさんは勝手に話を締めくくった。そうしてから思い出したように、僕を見る。

「おっ、そういえば君はお守りが欲しいちゅうとったんじゃね。ちょっと待っときよ。いま、持ってくるでねえ……」

 オッサンが外へ出て行くと、社務所は再び扇風機の音しか聞こえなくなった。何を考えているのか、彼女はうつむいたまま黙っている。間を埋める術を知らない僕は、少し温くなったお茶を飲み干した。

「……神さまは、お願いを聞いてくれないんですね」

 ややあって、彼女がつぶやくように言った。それが独り言じゃないと知ったのは、うつむいていた彼女の目が、笑うように僕に向けられていたからだった。

「……でも、ここに来る度、生まれ変わってるらしいよ」

 なぜだか励ますようなテンションで僕は言う。いや、だってなんであんなどうでもいいオッサンの話で落ち込んでる風なのか、僕には全然わからない。

「毎日生まれ変わってる、かあ」
 お茶に口をつけながら、彼女はつぶやいた。

「そっか、そうですね。自分を変えられるのは自分しかいないって、よく言いますもんね」
「いや、聞いたことないけど……」

 何となく突っ込むと、

「そうですか? 言いますよ、自分は自分にしか変えられないって。うん、本当にそうなんですけどね」

 自分に言い聞かせるように言う。

 変な納得の仕方だな、僕は思いながらも「そうかもしれないけど」とうなずいた。それから盗み見るように彼女を見た。

 何だ、この妙な感じは。彼女は何を狙ってそんなことを言ってるんだろう。一体、何をアピールしたいんだ? 願い事――つまり、僕が死なないように祈ってるのに、神さまは叶えてくれなくて、だから可哀想な自分、とか?

 いや、それじゃ何だかよくわからない。えっと、神さまは願いを叶えない。だから、僕は死んでしまう。……だとしても、彼女に何の損があるんだ? 彼女は、悲劇のヒロインぶりたいがために、心の底では僕の死を願っているはずだ。それなのに、なぜ?

 彼女の設定を見抜けないでいると、再びガラリと戸が開き、オッサンが戻ってきた。

「お守り、種類がたくさんあるんじゃけんど、どれかね? 交通安全とか、鈴とか、あとは普通のやつじゃけんど……」
「普通のやつ、普通のでお願いします」

 僕は立ち上がると、ポケットから財布を出す。一昨日と昨日の轍を踏まないように、ようやく余分な金も持ってきたのだ。三度目の正直、というか、三日目の財布と、いうか……。

「そいだら、八百円」
「はい」

 千円札とひきかえに、紙に包まれたお守りが渡される。

「はい、お釣りは、と」
 オッサンがポケットの小銭を探る。

「えーと……」

 まさか、釣りがないとかいわないよな? 僕は思わずその動作を凝視した。お釣りがなかったら、またここに来なければならない。まさかの四日連続参拝は、どうか勘弁して欲しい。

「お、あったあった。ほい、二百円な」

 その祈りが通じたのか、オッサンはあっけなくお釣りを差し出した。どうも、僕はほっとしながらそれを受け取って――同時にがっかりしている自分に気づいた。

 お守りを買う、というミッションは、紆余曲折を経ながらも完遂した。つまり、僕はもうこの神社に用はないわけで、ということは彼女に会う口実もないわけで――。

 ――口実? バカ言うなよ。
 胸に浮かんだ思いを、僕は慌ててかき消した。

 一昨日も、それから昨日も今日も、僕は彼女に会いに炎天下を自転車をこいで来たわけじゃない。それは、お守りのためだ。母さんに頼まれたお守りを買うために、ここまで来ているのだ。

「あっ、もしかして……」
 そのとき、やりとりを見ていた彼女が、まさかというように僕を見た。

「そういえば、昨日、お守りを買いに来てたんですか? 私、もしかして邪魔して……っていうか、あのお金……」

 一人で赤くなったり青くなったりしている。

「別に、買えたからもういいよ」
 一応、そう言ってやると、

「あああ……何かすいません……」
 がっくりとうなだれる。

「同い年だっけ? ずいぶん仲良うなったなあ」
 オッサンが笑う。そして、なぜかふっとその笑みを消し、ぼそり、余計な一言。

「若いってのは、ええもんやな」
「いや、別に、そういうんじゃ……」

 否定しながらも、僕はオッサンのテンションに顔をしかめた。

 「若いってええな」、そういう台詞は、親父ギャグのようなもので、決してぼそっと言うようなもんじゃない。だというのに、そんなふうに暗くつぶやかれたら、「この人、妻子に逃げられたのかな」なんて余計な勘ぐりをしてしまうじゃないか。

「友達は、大事にせえよ」

 しかし、僕の気持ちも知らず、オッサンはぽんと机を叩くと、「ゆっくり休んでいきんさい」、そう言って、自分は再び外へ出て行く。あとには、僕と、頭を抱えたままの彼女が残された。

「ゆっくり休んでけって言われても……」

 無言でいるのも何だかなと思い、僕は突っ込み半分につぶやいた。彼女の反応をうかがう。こんなときこそ、何でもいいから話を振って欲しいというのに、彼女は口を閉じていた。

 気まずさに、僕は立ったまま、もうほとんど残っていないお茶を飲むふりをした。そうして空っぽの湯呑みを置くと、もう本当にすることはなくなった。

「……帰る?」

 ふと、そんな言葉が口から出る。そして反射的に、しまった、と思う。

 神さまは願い事を叶えてくれる万能な存在じゃない――オッサンにそう聞いて、なぜか落ち込んだ様子だった彼女が、明日からどうするかはわからない。設定重視でお参りを続けるかもしれないし、やめてしまうかもしれない。

 けれど、そのどちらにせよ、僕にはもうここへ来る用事がなかった。それに、彼女が行くという私立高校も知らない。ということは、もう彼女に会うことはないのかもしれない。会っても、そのときはこんなふうに二人きりで話す機会なんか絶対にないに違いない。

 ……もうこうなったら認めてしまおう。
 彼女から目をそらすように、僕はそっぽを向いた。

 僕はこれからも彼女に会いたかった。会って、話をしたかった。

 けど、念を押しておくと、やっぱりこれは彼女のことが好きだとか、そういう話じゃない。だって、僕はこうして話をしてくれる女の子なら、はっきり言って誰でも良かった。出会ったのがたまたま藤川唯だったというだけで、それが別の女子だったとしても、全然構わなかった。

 僕はただ、僕の言葉を信じてくれる女の子が欲しかった。男友達じゃなく、女の子という特別な存在が話を聞いてくれるということが、とても心地いいことだった。

 そりゃ、あわよくばその先に、なんて考えがないといったら嘘になる。けれど、それでも僕が彼女と会いたいと思うのは、「女の子といる自分」とか「自分の話を聞いてくれる女の子の存在」がただただ嬉しいからだった。そして、それは「好き」ではなく、もっと広い意味での自分の欲求を満たすために他ならなかった。

 それに、こんな設定だらけの女の子を、好きになんてなるはずがない。

 帰るか、という僕の問いに、彼女はふと顔を上げた。それから、こくり、うなずく。湯呑みを僕の分までお盆に並べて立ち上がると、パイプ椅子を元に戻した。

「……お参り、してからでいいですか?」

 思いついたようにそう言う。

 うん、僕はうなずくと、社務所の戸を閉め、彼女の後をついて歩いた。さきほどお参りなんて、と手も清めなかった手前、何となく本殿の前で足を止める。

 足を止めた僕を知ってか知らずか、彼女はそのまま進み、カラカラと鈴を鳴らした。二礼二拍手一礼をし、じっと祈りを捧げる。その長い間。

 神さまは願いを叶えてくれないって、落ち込んでたんじゃなかったのかよ。

 僕はそう思いながらも、その小さな背中から目を離せずにいた。

 一体、何をそんなに祈ってるのだろう。それとも、やっぱりそれはフェイクで、僕が見ていると知っているからこそ、「こんなに真面目に祈ってる私」を演出しているだけなのだろうか。

 ぐだぐだと考えていると、ようやく彼女は姿勢を戻した。踵を返すと、パン、と日傘を広げ、僕の所へ戻ってくる。

「行きましょうか」

 そう言って微笑む。その笑顔に、まるで付き合っている彼氏彼女のようなものを感じ、恥ずかしくなった僕はぶっきらぼうに先を歩いた。すぐに朱色の参道が見えてくる。先に石段に足を踏み出すと、日傘を畳んだ彼女のコツリ、コツリ、という音が、ゆっくりと追いかけてきた。

 この参道を下りきったら――

 そのゆっくりとした音に合わせながら、僕は思った。

 明日からは彼女に会えなくなる。いや、それとも適当に理由をつけてここに来ようか? けれど、肝心の彼女が来なかったら?

 堂々巡りの考えが浮かんでは消える。いくら考えても、わからないことはわからない。この曲がりくねった鳥居の先がどこまで続いているのか、決して見ることはできないように。

「……ゲーム、しません?」
 すると、後ろの彼女が唐突に言った。

「ゲーム?」
 僕は、つい振り返った。すると、日傘をついた彼女がイタズラっぽく笑った。

「はい、月森くんの負けです」
「え? どういうこと?」

 顔をしかめる。彼女は笑みを顔に浮かべたまま、楽しそうに言った。

「えっと、名づけて『振り返っちゃダメ』ゲームです。私がいろんなことを言って振り向かせようとするんで、それで月森くんが振り返ったら負け、参道を下りるまで振り返らなかったら私の負けです」

 どうですか、というように、首をかしげる。

「それ、僕に有利な気がするけど……振り向かなきゃいいんやろ?」
 このバカっぽい提案もキャラか? 僕は冷静に突っ込む。しかし、彼女はくすくすと笑った。

「でも、いま、振り向いたから、月森くんの一回負けですよ?」
「それはズルいやろ」

 まだゲームは始まってなかったんだし、抗議すると、

「でも、負けは負けです。あ、そうだ、負けた方は勝った方のお願いを叶えるってことでどうですか?」
「話、聞いてねえし……」

「え? 何ですか?」
 笑顔で首をかしげる。その仕草があまりに楽しそうだったので、僕は何となくうなずいた。

「やった!」
 すると、彼女は飛び上がって喜んだ。

「じゃ、いまのは私の勝ちとして……二回戦目を始めましょうか」
「別にいいけど……」

 僕はどんどん読めなくなっていく彼女のキャラに顔をしかめた。それから、一応、聞いておく。

「で、藤川さんの『お願い』って何なの?」
「それはですね――もしよかったら、なんですけど……」

 勝ちを宣言した割には、おずおずと彼女はその『お願い』を口にした。それは、さらに彼女のキャラ的に不可解な、わけのわからないものだった。
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