嘘は世界を軽くする
6章 藤川唯
目が覚めると、そこには白い光が溢れていた。
――私はどちらの世界で目覚めたんだろう。
無意識から覚めた後、私はいつもそれを確かめようとする。向こうの世界とこちらの世界、そのどちらにも白い光は溢れている。
というのも、以前に一度だけ、心停止状態になったとき、私はその風景を目にしたことがある。向こうの世界も、この世界と同じように優しく穏やかな場所だった。
「おはよう、よく寝られたみたいね」
ぼんやりしていると、お母さんの声が聞こえた。
「おはよう」
私はそう答えて――これは決して声に出しては言わないけれど――ああ、わたしは生きてるんだ、そんなことを再確認してほっとする。
いくら向こうがこの世界と変わらないように見えても、私は死ぬのがとても怖い。一年半ほど前に心臓に異常が見つかってから、夜眠るのがとても怖い。そのまま心臓が止まってしまって、お父さんやお母さんや、友達に会えなくなるのがとても怖い。
それは、いまも同じだ。
けれど、違うこともある。あの頃はわからなかったけれど、いまならわかることも増えてきた。
それは例えば、お父さんやお母さんも、私と同じように夜がとても怖いのだということ。気づかない夜のうちに私の心臓が止まってしまって、私と二度と会えなくなることをとても恐れているのだということ。
お酒好きのお父さんは、私がお酒を飲める年まで生きられないことを、辛く思っているのだということ。お父さんのことが大好きなお母さんは、私が恋も知らず、結婚もせずに死んでしまうことを悲しんでいるのだということ。
両親のことだけでもこんなにたくさんあるというのに、ほかの人たち――おじいちゃんやおばあちゃん、友達や知り合いの人まで、私のせいで悲しませてしまうこと。
以前と同じように運動ができなくなったことや、病院通いで日常生活に制限が出ることに苛立ち、「私なんか生まれてこなきゃ良かった」、そう口に出してしまったこともある。「こんな人生、生きる意味なんてない」と自暴自棄になったこともある。
けど、同じ病気を抱える人や、闘病の末に亡くなってしまった人、病気じゃなくても突然の事故で亡くなってしまう人がいること、そういうことを知っていく過程で、私は私なりの答えが出せたと思っている。
それは、生きている「いま」を生き抜くこと。
いま、生きているのに、死ぬときのことを考えて泣いているのはもったいない。だから、明日事故で亡くなることを知らない人のように、私は生きる。そう両親に伝え、そんな人生を終わりまで生きるために、私は高校を辞めた。そして、お母さんの実家である津和野にやってきたのだ。
東京は一瞬を生きていくためには、少し時間の流れが速すぎる。そう思ったからの決めたことだ。しかし、そんな決断には犠牲もともなった。
それは、友達。
サユにマー子にイッちゃんにユミ蔵。中高一貫の女子校で、私たちはお互いをためらいなく親友と呼べるほどの間柄だった。
私たちは一緒にお弁当を食べ、休み時間にはバカみたいな話をして笑い転げた。
偶然が味方して、クラスもずっと同じだったし、委員会も二人と三人で分かれることができたから、私たちは本当にいつも一緒だった。だからだろう――これはいまでもよく覚えている。ある年、紅白に分かれる体育祭で、一人だけだけ白組になってしまったユミ蔵はびっくりするほど泣いて、私たちは慰めるのにとっても苦労したのだ。
それから、「好きな人ができたの」、そう打ち明けてくれた、サユとイッちゃん。私たちは二人の恋を応援して、バレンタインにはみんなでチョコケーキをつくった。お菓子作りはマー子の得意分野で、どっちかっていうと不器用な二人は、何度もマー子に怒られながらオーブンを覗き込んでいたっけ。
それが、晴れて二人とも両想いになったときの嬉しさといったら! あんなに怒ってたマー子がボロボロ泣いて、そしたら私ももらい泣きしちゃって、結局みんなで子供みたいに泣きじゃくった。
あのときは、彼氏ができたサユとイッちゃんが遠くに行っちゃうみたいで、悲しくって泣いたんだってことを覚えてる。別に私たちが別れ別れになるわけじゃないんだから、そこまでのことじゃなかったんだけど、あのときの私にはそれがわからなかった。現実に迫っている本当のお別れを知らなかったから。
小さく息をつき、私は枕元に積み上がった手紙を見た。
それはカラフルで可愛くて、一見して東京のものだとわかるデザインのものばかりだった。もちろん、差出人は彼女たち。「島根に行っても大親友なんだからね!」と公言してはばからない、大切な友人たちの手紙。
携帯を解約してしまえば、連絡は少なくなり、そのうちに途絶えるだろう。そう思った私は少しこの大親友たちを甘く見ていたみたいだ。なぜなら、この手紙の束は、私が緊急入院してからたったの二週間で積み上がってしまったものだったからだ。
「お手紙、返す? レターセット持ってこようか?
私の視線に気づいたのだろう、お母さんが優しく聞いてくれる。
「ううん、いらない」
しかし、私は首を振り、大親友の言葉たちから目を背けた。お母さんの手前、封は開けておいたが、実は中身は読んでいなかった。読めば、返事を書かずにはいられない。会いたい、声を聞きたいという衝動を抑えられない。けれど、それはしてはいけないことなのだと、私は自分に言い聞かせていた。
島根に行くその本当の理由を、私は彼女たちに話さずに別れた。お父さんの仕事の都合で、と嘘をついた。何度も家で練習したから、本番では涙も出なかった。いいや、それ以前に、私はこの病気のことを隠していた。だから、その頃には嘘もつき慣れていて――それで涙は出なかったのだろう。
でも、そうして嘘をつくことが、私がみんなのためにできる唯一のことだった。
だって、私の大親友たちはみんな泣き虫だ。私が死んでしまうことを知ったら、泣いて泣いて、それでも泣いて、みんなで泣き死んじゃうに違いない。
私は彼女たちを悲しませたくなかった。仲良し五人組から私が欠けて、四人組になったとしても、みんなには笑っていて欲しかった。
それだけじゃない。私は、私が死んで悲しむ人を、最小限に留めておきたかった。お父さんお母さん、それからおじいちゃんおばあちゃん、佳菜子さんや航平さんや璃奈ちゃん、それから過保護なお母さんが口を滑らせてしまった、神社の日熊さん。
自分が死ぬ以上に、人が死んでしまうのは辛い。それも、お年寄りじゃなく、私のような子供が死ぬのはもっと辛いだろう。
だから、この島根で、私は誰かと新しい関係をつくる気はなかった。友達や恋人なんて、そんな存在は望まない。私のために悲しむ人を増やしたくない。
毎日神社にお参りを続けたのも、あそこには人がいなかったからだ。それにもちろん、日熊さんが言うところの「神頼み」の意味もある。祈り短冊に願い事を書いたのも、神さまが願いを叶えてくれるかもしれない、そう思ったからだ。子供のまま死ぬのではなく、せめて大人になるまで――そう、成人式を迎えられるくらいまで生きられますように、私はそう願ったのだ。
そして、彼に出会った。余命が二年だという、病に冒された月森くんに。
彼はいま、どうしているだろうか。
私はあれから毎日考えていることを、今日も考えた。
「行こう」、そう言って私の手を取った彼は、いつになく強引だった。あのときは笑い事じゃなかったけれど、いまになって思えば、「卒業」みたいだった。結婚式から花嫁を奪い去る、あれだ。でも私たちの場合は、花嫁の心臓が耐えられなかった、という予期せぬ理由で唐突に終わってしまったわけだけれど。
月森くんの体はどこが悪いのだろう、手を引いた強さを思い出しながら、私は思った。強引な手、私の名前を呼ぶ声、必死な表情。
「月森寛人」が彼ではないと知り、落ち込んでいた私に、それでも月森くんは怒ったり責めたりはしなかった。
彼は優しかった。私にはもったいないくらい、とても優しい人だった。
それなら、私はくちびるを噛んで思う。
それなら、彼は私を許してくれるだろうか。私が彼に近づいたもう一つの理由、それを告白したとしても。新しい関係をつくる気のなかった私が、彼と一緒にいたいと願った、その身勝手な理由を。
「唯、朝ご飯が来たわよ」
廊下のカチャカチャという音に上半身を起こすと、看護婦さんから朝食を受け取ったお母さんが、ベッドの机にお盆を置いてくれる。
「あ、ご飯だ。やった」
朝はパンよりご飯派の私が喜んでみせると、お母さんは呆れたように笑った。
まったく唯はいつまで経っても子供っぽいんだから、そう思われていると思うと、くすぐったいような気分になる。早く大人になって安心させなきゃ、そう思う一方、いつまでもお母さんの子供でいたい、私はそんな風に思うこともある。
「藤川さん、お話があるんですけど……朝食の間によろしいですか?」
一旦閉じたドアが細く開き、中から担当の先生が顔を出す。それから、ベッドの上の私に気づくと、
「やあ、唯さん、気分はどう?」
笑顔で言う。若い先生だけれど、目の下にはすごいクマがある。お医者さんというのは、すごく忙しい仕事なんだろう。こないだみたいに休日でも、私のために病院まで来なければいけないんだし。
いつもお世話になっています、という気持ちも込めて、大丈夫ですとうなずくと、先生は「よかった」と言い、もう一度お母さんに視線を戻した。さっきの「お話がある」というのは、どうやらお母さんにということだったらしい。
「あ、いま行きます」
濡れ布巾を用意していたお母さんは振り返ると、「行ってくるわね」、私に目配せをして病室を出て行く。何の話だろうな、当事者の私は思うけれど、そこはあまり考えないようにしておく。何を話してるんだろうなんてことは、考えたって結論が出ないのだ。
だって、それは、
『そろそろ良くなってきましたから、退院してもいいですよ、また通院で様子を見ましょう』
なんてことかもしれないし、
『なかなか数値が良くなりませんので、しばらくは入院ですね』
という話かもしれない。もっと悪ければ、
『これは……もってあと一週間というところでしょう』
かもしれない。
でも、そんなことは考えてもしょうがない。しょうがないから、考えない。
私は努めて明るく考えると、朝ご飯をしっかりと平らげた。病院食はまずい、なんて言う人もいるけれど、この病院のご飯は三食とってもおいしい。お母さんのご飯には敵わないけど、おいしいご飯が食べられただけで、今日もとっても幸せだ。
お母さんが用意してくれた濡れ布巾で、手をきれいに拭くと、私は点滴を気にしながら、そろそろと立ち上がった。ずっと寝たきりだったため、筋力が弱っているのを感じる。だからお盆くらい自分で下げて、少しでもリハビリをしないと。
そう思い、ドアを開けたときだった。廊下に予想外の人を見つけて、私は驚いた。向こうも私に気づいたのだろう、その丸顔に照れ笑いを浮かべ、こちらにやってくる。その手には、顔をどの大きさのあるひまわりが三つ、携えられている。
――私はどちらの世界で目覚めたんだろう。
無意識から覚めた後、私はいつもそれを確かめようとする。向こうの世界とこちらの世界、そのどちらにも白い光は溢れている。
というのも、以前に一度だけ、心停止状態になったとき、私はその風景を目にしたことがある。向こうの世界も、この世界と同じように優しく穏やかな場所だった。
「おはよう、よく寝られたみたいね」
ぼんやりしていると、お母さんの声が聞こえた。
「おはよう」
私はそう答えて――これは決して声に出しては言わないけれど――ああ、わたしは生きてるんだ、そんなことを再確認してほっとする。
いくら向こうがこの世界と変わらないように見えても、私は死ぬのがとても怖い。一年半ほど前に心臓に異常が見つかってから、夜眠るのがとても怖い。そのまま心臓が止まってしまって、お父さんやお母さんや、友達に会えなくなるのがとても怖い。
それは、いまも同じだ。
けれど、違うこともある。あの頃はわからなかったけれど、いまならわかることも増えてきた。
それは例えば、お父さんやお母さんも、私と同じように夜がとても怖いのだということ。気づかない夜のうちに私の心臓が止まってしまって、私と二度と会えなくなることをとても恐れているのだということ。
お酒好きのお父さんは、私がお酒を飲める年まで生きられないことを、辛く思っているのだということ。お父さんのことが大好きなお母さんは、私が恋も知らず、結婚もせずに死んでしまうことを悲しんでいるのだということ。
両親のことだけでもこんなにたくさんあるというのに、ほかの人たち――おじいちゃんやおばあちゃん、友達や知り合いの人まで、私のせいで悲しませてしまうこと。
以前と同じように運動ができなくなったことや、病院通いで日常生活に制限が出ることに苛立ち、「私なんか生まれてこなきゃ良かった」、そう口に出してしまったこともある。「こんな人生、生きる意味なんてない」と自暴自棄になったこともある。
けど、同じ病気を抱える人や、闘病の末に亡くなってしまった人、病気じゃなくても突然の事故で亡くなってしまう人がいること、そういうことを知っていく過程で、私は私なりの答えが出せたと思っている。
それは、生きている「いま」を生き抜くこと。
いま、生きているのに、死ぬときのことを考えて泣いているのはもったいない。だから、明日事故で亡くなることを知らない人のように、私は生きる。そう両親に伝え、そんな人生を終わりまで生きるために、私は高校を辞めた。そして、お母さんの実家である津和野にやってきたのだ。
東京は一瞬を生きていくためには、少し時間の流れが速すぎる。そう思ったからの決めたことだ。しかし、そんな決断には犠牲もともなった。
それは、友達。
サユにマー子にイッちゃんにユミ蔵。中高一貫の女子校で、私たちはお互いをためらいなく親友と呼べるほどの間柄だった。
私たちは一緒にお弁当を食べ、休み時間にはバカみたいな話をして笑い転げた。
偶然が味方して、クラスもずっと同じだったし、委員会も二人と三人で分かれることができたから、私たちは本当にいつも一緒だった。だからだろう――これはいまでもよく覚えている。ある年、紅白に分かれる体育祭で、一人だけだけ白組になってしまったユミ蔵はびっくりするほど泣いて、私たちは慰めるのにとっても苦労したのだ。
それから、「好きな人ができたの」、そう打ち明けてくれた、サユとイッちゃん。私たちは二人の恋を応援して、バレンタインにはみんなでチョコケーキをつくった。お菓子作りはマー子の得意分野で、どっちかっていうと不器用な二人は、何度もマー子に怒られながらオーブンを覗き込んでいたっけ。
それが、晴れて二人とも両想いになったときの嬉しさといったら! あんなに怒ってたマー子がボロボロ泣いて、そしたら私ももらい泣きしちゃって、結局みんなで子供みたいに泣きじゃくった。
あのときは、彼氏ができたサユとイッちゃんが遠くに行っちゃうみたいで、悲しくって泣いたんだってことを覚えてる。別に私たちが別れ別れになるわけじゃないんだから、そこまでのことじゃなかったんだけど、あのときの私にはそれがわからなかった。現実に迫っている本当のお別れを知らなかったから。
小さく息をつき、私は枕元に積み上がった手紙を見た。
それはカラフルで可愛くて、一見して東京のものだとわかるデザインのものばかりだった。もちろん、差出人は彼女たち。「島根に行っても大親友なんだからね!」と公言してはばからない、大切な友人たちの手紙。
携帯を解約してしまえば、連絡は少なくなり、そのうちに途絶えるだろう。そう思った私は少しこの大親友たちを甘く見ていたみたいだ。なぜなら、この手紙の束は、私が緊急入院してからたったの二週間で積み上がってしまったものだったからだ。
「お手紙、返す? レターセット持ってこようか?
私の視線に気づいたのだろう、お母さんが優しく聞いてくれる。
「ううん、いらない」
しかし、私は首を振り、大親友の言葉たちから目を背けた。お母さんの手前、封は開けておいたが、実は中身は読んでいなかった。読めば、返事を書かずにはいられない。会いたい、声を聞きたいという衝動を抑えられない。けれど、それはしてはいけないことなのだと、私は自分に言い聞かせていた。
島根に行くその本当の理由を、私は彼女たちに話さずに別れた。お父さんの仕事の都合で、と嘘をついた。何度も家で練習したから、本番では涙も出なかった。いいや、それ以前に、私はこの病気のことを隠していた。だから、その頃には嘘もつき慣れていて――それで涙は出なかったのだろう。
でも、そうして嘘をつくことが、私がみんなのためにできる唯一のことだった。
だって、私の大親友たちはみんな泣き虫だ。私が死んでしまうことを知ったら、泣いて泣いて、それでも泣いて、みんなで泣き死んじゃうに違いない。
私は彼女たちを悲しませたくなかった。仲良し五人組から私が欠けて、四人組になったとしても、みんなには笑っていて欲しかった。
それだけじゃない。私は、私が死んで悲しむ人を、最小限に留めておきたかった。お父さんお母さん、それからおじいちゃんおばあちゃん、佳菜子さんや航平さんや璃奈ちゃん、それから過保護なお母さんが口を滑らせてしまった、神社の日熊さん。
自分が死ぬ以上に、人が死んでしまうのは辛い。それも、お年寄りじゃなく、私のような子供が死ぬのはもっと辛いだろう。
だから、この島根で、私は誰かと新しい関係をつくる気はなかった。友達や恋人なんて、そんな存在は望まない。私のために悲しむ人を増やしたくない。
毎日神社にお参りを続けたのも、あそこには人がいなかったからだ。それにもちろん、日熊さんが言うところの「神頼み」の意味もある。祈り短冊に願い事を書いたのも、神さまが願いを叶えてくれるかもしれない、そう思ったからだ。子供のまま死ぬのではなく、せめて大人になるまで――そう、成人式を迎えられるくらいまで生きられますように、私はそう願ったのだ。
そして、彼に出会った。余命が二年だという、病に冒された月森くんに。
彼はいま、どうしているだろうか。
私はあれから毎日考えていることを、今日も考えた。
「行こう」、そう言って私の手を取った彼は、いつになく強引だった。あのときは笑い事じゃなかったけれど、いまになって思えば、「卒業」みたいだった。結婚式から花嫁を奪い去る、あれだ。でも私たちの場合は、花嫁の心臓が耐えられなかった、という予期せぬ理由で唐突に終わってしまったわけだけれど。
月森くんの体はどこが悪いのだろう、手を引いた強さを思い出しながら、私は思った。強引な手、私の名前を呼ぶ声、必死な表情。
「月森寛人」が彼ではないと知り、落ち込んでいた私に、それでも月森くんは怒ったり責めたりはしなかった。
彼は優しかった。私にはもったいないくらい、とても優しい人だった。
それなら、私はくちびるを噛んで思う。
それなら、彼は私を許してくれるだろうか。私が彼に近づいたもう一つの理由、それを告白したとしても。新しい関係をつくる気のなかった私が、彼と一緒にいたいと願った、その身勝手な理由を。
「唯、朝ご飯が来たわよ」
廊下のカチャカチャという音に上半身を起こすと、看護婦さんから朝食を受け取ったお母さんが、ベッドの机にお盆を置いてくれる。
「あ、ご飯だ。やった」
朝はパンよりご飯派の私が喜んでみせると、お母さんは呆れたように笑った。
まったく唯はいつまで経っても子供っぽいんだから、そう思われていると思うと、くすぐったいような気分になる。早く大人になって安心させなきゃ、そう思う一方、いつまでもお母さんの子供でいたい、私はそんな風に思うこともある。
「藤川さん、お話があるんですけど……朝食の間によろしいですか?」
一旦閉じたドアが細く開き、中から担当の先生が顔を出す。それから、ベッドの上の私に気づくと、
「やあ、唯さん、気分はどう?」
笑顔で言う。若い先生だけれど、目の下にはすごいクマがある。お医者さんというのは、すごく忙しい仕事なんだろう。こないだみたいに休日でも、私のために病院まで来なければいけないんだし。
いつもお世話になっています、という気持ちも込めて、大丈夫ですとうなずくと、先生は「よかった」と言い、もう一度お母さんに視線を戻した。さっきの「お話がある」というのは、どうやらお母さんにということだったらしい。
「あ、いま行きます」
濡れ布巾を用意していたお母さんは振り返ると、「行ってくるわね」、私に目配せをして病室を出て行く。何の話だろうな、当事者の私は思うけれど、そこはあまり考えないようにしておく。何を話してるんだろうなんてことは、考えたって結論が出ないのだ。
だって、それは、
『そろそろ良くなってきましたから、退院してもいいですよ、また通院で様子を見ましょう』
なんてことかもしれないし、
『なかなか数値が良くなりませんので、しばらくは入院ですね』
という話かもしれない。もっと悪ければ、
『これは……もってあと一週間というところでしょう』
かもしれない。
でも、そんなことは考えてもしょうがない。しょうがないから、考えない。
私は努めて明るく考えると、朝ご飯をしっかりと平らげた。病院食はまずい、なんて言う人もいるけれど、この病院のご飯は三食とってもおいしい。お母さんのご飯には敵わないけど、おいしいご飯が食べられただけで、今日もとっても幸せだ。
お母さんが用意してくれた濡れ布巾で、手をきれいに拭くと、私は点滴を気にしながら、そろそろと立ち上がった。ずっと寝たきりだったため、筋力が弱っているのを感じる。だからお盆くらい自分で下げて、少しでもリハビリをしないと。
そう思い、ドアを開けたときだった。廊下に予想外の人を見つけて、私は驚いた。向こうも私に気づいたのだろう、その丸顔に照れ笑いを浮かべ、こちらにやってくる。その手には、顔をどの大きさのあるひまわりが三つ、携えられている。