不時着
それから私たちは連絡先を交換し、時々会うようになった。何度か彼と食事をしたり、あのバーへ通ったりするうちに、私は少しずつ彼のことを知っていった。
彼は財布を持ち歩かないこと。持っていたとしてもその中にはいつもお金がないこと。高校を卒業した後、大学へは行かず地元の食品工場で働き始めたものの、それもすぐに辞めてしまって、今は合コンで知り合った女性の家に居候をしていること。
そんな生活の全てを、腐った世の中のせいだよと笑ってみせること。
彼から電話が来るのは決まってパチンコで負けた日か、"コイビト"の家を追い出された日だったけれど、それは別に気にならなかった。
私は彼の恋人になりたいわけではなかったし、彼もまた私をそういう対象には見ていなかったと思う。だから、初めて私が彼に好きだと言ったとき、彼はとても驚いたような顔をしていたけれど、私自身も随分と驚いていた。
私ってこの人のことが好きだったんだと、他人事のようにそう思った。
「カサハラさんって俺のこと好きだったの」
「え、わからない、わかんない、ごめん」
口が滑って。ーー果たして本当にそうだろうかと考えた。初めて彼と会ったあの日、どうしようもなく虚しい気持ちに押し潰されそうだった私を、彼は救ってくれたのだ。その理由が、単に酒を奢ってくれそうだったからとか、私のように地味な女は騙しやすそうだったからとか、そんなものだったとしても、それは大した問題ではなかった。
あの薄暗いバーのカウンターで、面白くもなさそうに私の話を聞いていた彼の横顔に、私がどれほど救われたのかを彼は知らない。言葉は汚いけれど、それでもこんな私を、彼は一度も否定しなかった。慰めるわけでも、優しい言葉をかけるわけでもなかったけれど、にやりと笑って、「そんな日もあるよなぁ」と酒を煽った彼の声は、ひどく優しかった。
「でもだめだよ」
彼は誰が見ても駄目な人間なのに、私はわざわざそんな人を好きになってしまった。彼はやっぱりどう考えてもクズ野郎なのに、こういうときに、かける言葉を間違えない。
「カサハラさんはだめだよ」
「どうして?」
「どうしても」
「私、たくさんお金はないけど、少しくらいなら貯金もあるし、就職だって決まったし、それに」
「カサハラさんはだめだわ」
だめだよ、こっちに来ちゃ。
そう言って、彼は少し困ったように笑った。いつも根拠の無い自信に満ち溢れ、人を馬鹿にしたようにへらりと笑ってみせる彼のそんな顔を見たのはそれが最初で最後だった。
思えばあれは、彼が私へ向けた最大限の優しさだったのかもしれない。
その日、私は生まれて初めて、大声を出して一晩中泣いた。