不時着
それからというもの、彼は私に一切連絡をして来なくなったーーなんてことはなく、数日後にはまるで何事もなかったかのように「また負けちゃってさぁ、腹減って死にそうなんだよ」なんて笑いながら電話をかけてきた。
そのとき、私は心の底から「あぁ、この人はこういう人間なんだな」と思った。私は彼のそういうところに惹かれたのかもしれないと、諦めるような気持ちで、結局彼に食事を与えてしまった。
「ねぇ、今から会えないかな」
私から電話をかけたのはそれが初めてだった。
就職し、右も左もわからないままひたすら与えられた仕事をこなし、毎晩家に帰る頃には覚えたてのメイクもぐちゃぐちゃで、食事を作るのも面倒になり次第にコンビニ弁当で済ますことが増えていった。
ある夜、いつものように満員電車に揺られて家に帰る途中、ふと立ち止まった公園で、小さなブランコが寂しく揺れているのを見た。何となく近寄って、そっと腰を下ろした瞬間に、涙が出た。
私、何やってるんだろう。
何も間違っていないはずなのに、私は間違っていないはずなのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。あれ、前にも確か、こんな風にどうしようもなく虚しくなったときがあった気がする。あの時、私はどうしたんだっけ。
「なに、どうしたの急に」
息を切らすわけでもなく、急いだ素振りさえ見せずに、それでも彼は、私を迎えに来てくれた。それから私はひたすら泣き続け、彼はそんな私を慰めるでもなくただ黙って隣にいた。
「カサハラさん悲しいの?」
「うん、たぶん」
「なんで?」
「わかんない」
何でだろうね、と笑ったら、知らねぇよ、と彼も笑った。身体の真ん中に居座っていた塊が、ほろほろと溶けていくような気がした。いつの間にか、涙は止まっていた。
「おなかすいちゃったね」
何か食べに行こうかと立ち上がると、私の足は嘘みたいに軽くなっていた。あぁ、これか。彼は誰がどう見てもダメ人間でクズ野郎なはずなのに、いつも彼を愛している誰かがいるのは、これのせいか。
なんて厄介なことだろうか。
「いいけど俺、いま金ないよ」
「いつもないでしょ」
「あれ、カサハラさんまでそんなこと言うのかよ。傷つくなぁ」
「本当のことだもん」
「まぁそうなんだけど」
早く行こうぜ、と歩き出した彼の背中を追いかけながら、いつか私に「だめだよ」と言った彼の言葉の意味が、少しだけわかったような気がした。